訃報記事を感慨深く読んだ人が、今年もたくさんいた。川崎富作さんはその一人である。95歳だった。
乳幼児に多い川崎病を発見した小児科医だ。取り組んだいきさつ、大切にしたこと、老いてからの生き方。お会いする機会はなかったが、記事や出版物を読むだけで、密度の濃い人生だったと分かる。
病院の勤務医だった1961年に見慣れない症状の幼児を診た。充血、湿疹、唇の出血…。判断がつかず「診断不明」とした。翌年、幼い男の子が運ばれてきた。顔を見て「あっ」と声を上げる。同じ症状だった。
似た症例を集め、議論の場をと思った。しかしなかなか耳を傾けてくれない。
ここからが川崎さんの粘り腰である。研究を重ねて論文にまとめ、国の研究費で全国調査…と進み、治療法開発への扉を開けた。未知の病は川崎病と呼ばれるようになった。
一線を退くと、NPO法人の日本川崎病研究センターをつくり、研究者への支援を続けた。
問われるとこう言った。
「一番大切なのは現場に帰ること。真理は現場にある」
歩みを振り返りながら、重ねてしまう言葉がある。沖縄県知事だった翁長雄志(おながたけし)さんが大切にしていると著書に書く言葉だ。
「百聞は一見に如(し)かず」はよく使われる。その後、「百見は一考に如かず、百考は一行に如かず…」と続く。
古くからの言い回しか、どなたかの創作か、由来は知らない。見て、考えて、行動する。でないと社会は動かない。基地と向き合った翁長さんにとって心の支えになったようだ。
最初の幼児を診てからの川崎さんの歳月も「一見」から「一行」への旅ではなかったか。
