「ウイルスはカレンダーを持っていません」。東京都の小池百合子知事が言うように、クリスマスも年末年始もお構いなく、新型コロナウイルスの感染拡大が止まらない。
さまざまな「コロナ用語」に振り回された1年だった。
「不要不急の外出自粛」を初めて聞いた時は、「必要で火急」の用件との線引きに真剣に迷った。「新しい生活様式」への「行動変容」を求められた時は、それまでの生活に自虐的に向き合わざるを得なかった。
映画館で指をべたべたにしてほおばるポップコーン、だらだらと続く飲み会、不要不急の代名詞のような時間にいかにエネルギーを注いできたか。でもそれが自分を保つ大切な時間だったと、できなくなって気づく。
「オンライン帰省」を専門家が呼びかけた時は、冗談かと思った。だが、夏休みに続き年末年始も帰省を拒まれたので、初めてのビデオ通話で両親の顔を約1年ぶりに見た。画面では意外と元気そうだが、無理をしていないかとまた心配になる。
年末年始に政府が呼びかけるのは「いつもの仲間で」。学校や職場など普段接している人の中で生活していれば感染は大きく広がらないが、その枠を超えるとクラスター(感染者集団)が起きやすくなる。社外の人を含む飲食は部署内の4人以下で時短の居酒屋で飲食した場合の1・5倍のリスク、「たまには」や「久々に」がリスク行動を高める、というAI分析が政府の対策分科会で報告された。
あれ、たまにしか会えない人とはいつまでたっても会えないという理屈にならないか-。
コロナ用語は、優しいふりをして人の心の奥をかき乱す。自分にとって本当に大切なものは何かを見失わずにいなければ。
