ネット全盛の時代、「破れば血の出る新聞」といってもデジタル世代にはピンとこないかもしれない。
先日、震災当時をよく知る先輩にこんな体験を聞いた。阪神・淡路大震災で社屋が全壊し、神戸新聞はわずか8ページの朝刊しか発行できなかった。取材しても記事が載らず悔しがる記者に、社会部長は「破れたら血の出るような新聞を作ろう」と言って励ましたという。
共感しつつも、先輩がこの言葉の意味を深く理解したのは1年ほど後、小学校の震災授業を取材したときだった。
授業の最後、1995年1月17日の夕刊を手にした先生が児童に問いかけた。「じゃあ、この新聞を破ってみよう」
しんと静まった教室に「あかん」と声が響いた。「それを破ったら自分も何だか苦しい」「心が入った新聞を破ったら悪い」。次々に意見が出た。
その日の教室の光景を何度も思い出しながら、先輩は震災取材を続けたという。
今年の1月17日、神戸新聞は数十人の記者が各地で震災遺族らに話を伺った。取材メモは50人以上になった。
夫婦で生き埋めになり、「がんばれ、がんばれ」と妻の手を握って励まし続けた夫。5歳の娘を亡くし「自分の半分は震災のときで止まった。今は残り半分で生きている」と語った父…。翌日の朝刊で紹介できたのは、こうした取材メモの一部にすぎない。
18日の朝刊がわが家にも届いた。
試しに破ってみるか。
いや、破れない。そんな新聞を作れているか、と自問する。
語り手の「伝えたい」という願いを隅々に込めた新聞は、やっぱり「紙」がふさわしい。
