日々小論

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 案内に従ってしか見学できないことに少々違和感を抱いた。福島県富岡町にある東京電力廃炉資料館でのことだ。

 自由に見たいと思いつつスタッフの説明を聞いていたとき、「えっ」と声が出た。「福島第1原発の敷地は、特攻隊の赤とんぼの飛行場だったんです」。原発事故と廃炉の展示以上に、その話に興味を引かれた。

 「赤とんぼ」は旧軍が使った練習機の愛称。複葉機だ。

 調べてみると、原発が立地する場所にあったのは陸軍の磐城(いわき)飛行場だった。戦前の地形図からは、人家の少ない海沿いの平たい土地が読み取れる。

 1940(昭和15)年に飛行場の建設が決まり、十数戸が移転。勤労奉仕の住民らがスコップとトロッコで工事を進めた。

 対米開戦後の42年、飛行場には宇都宮飛行学校磐城分校が置かれ、戦争末期の45年2月に特攻の教育隊として独立した。飛行場は米軍の空襲を受け、住民も犠牲になったという。

 赤とんぼが飛ぶ様子はよく見かけられた。だが訓練の内容は住民に知らされず、特攻の準備はひそかに続けられた。

 当時、三木市と加古川市、稲美町の境に陸軍が造った三木飛行場で訓練した若者たちも、特攻に加わっていた。兵庫県にもつながる話だと感じる。

 戦後、磐城飛行場は塩田になり、第1原発が建設されて71年に営業運転が始まる。そして、40年後にあの事故が起きた。

 事故直後、原発の作業に赴く自らを特攻隊員の姿に重ねた人もいたと聞く。戦時中と現在との近似には言葉もない。住民に被害が及ぶ点でも同じだ。

 10年たっても原発の周囲には帰還困難区域が広がる。人の命を脅かす国策は、もう二度と繰り返してもらいたくない。

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