日々小論

  • 印刷

 長崎県の雲仙・普賢岳で1991年に大火砕流が発生してから、3日で30年になる。山麓の島原市上木場(かみこば)地区では報道陣や同行したタクシー運転手、消防団員ら43人が犠牲となった。

 九州大名誉教授の太田一也さん(86)は当時、九大島原地震火山観測所長として、市長だった鐘ケ江管一さん(90)に同地区の住民避難を要請した。火砕流が起きる8日前。市長は即座に避難勧告を発令した。

 報道陣が従わず地元にも犠牲が出てしまったが、勧告により多くの住民の命が守られた。

 火砕流は危険と示した線の直前で止まった。以前太田さんを取材し、どのような判断だったのかを聞いたことがある。

 「火砕流がどこまで伸びてくるかは、どんな観測をしても分からない。勘に頼らざるを得ない。勘といっても、あくまでデータと経験に裏打ちされたもので、単なる勘ではないが」

 命よりも家畜が大事だと言う農家がいることも、地元に住む太田さんは知っていた。生活への影響と危険性の間でギリギリのところに線を引いた。腹をくくった極限の判断だった。

 心がけたのは、避難解除に傾きがちな行政との協調だったという。「ある程度妥協しても行政の独走を許さないのが大切。それが専門家として責任を持つということだと思っていた」

 鐘ケ江さんとの強い信頼関係が、島原の災害対策と復興に寄与したことがうかがえる。

 コロナ対策の緊急事態宣言が再延長された。政府に対応を進言するのは基本的対処方針分科会の専門家だが、どうも国の考えを追認する場面が目立つ。両者の対等な議論が今ほど求められているときはない。太田さんと鐘ケ江さんのような関係は望むべくもないのだろうか。

日々小論の最新
もっと見る
 

天気(9月25日)

  • 29℃
  • 22℃
  • 10%

  • 26℃
  • 20℃
  • 20%

  • 29℃
  • 20℃
  • 20%

  • 28℃
  • 20℃
  • 20%

お知らせ