日々小論

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 ミミズがはった字とは、このような字を言うのだろう。手紙は読み解くのに3人がかりで1週間ほどかかったそうだ。

 甲南学園の創設者、平生釟三郎(ひらおはちさぶろう)(1866~1945年)は東京海上火災保険専務などを務めた実業家で文部大臣も歴任した。甲南大の資料室に展示されている日記には、79歳で亡くなる直前までの32年間が収まる。

 100年前のパンデミック(世界的大流行)、スペイン風邪の記述もある。平生は当初、楽観視していたが、1918年11月4日には「実に恐るべき伝染性を有するものといふべし」と記す。自身や家族らが相次いでかかる事態も重なった。

 日本では第1次大戦の終わりごろから広がり、患者2300万人、死者は38万人に上ったとされる。死者数のピークは第1波が18年11月、第2波が20年1月だった。「阪神に於(お)ける死亡数は例年に倍し、火葬場に於ては柩(ひつぎ)の堆積を見、神戸に於ては止(やむ)を得ず野焼(のやき)を開始して整理し」と酸鼻を極めた。

 日記は100年後の2019年春に全18巻となって翻刻された。原文の下読みから数えると四半世紀に及んだ。編集委員長を務めた藤本建夫名誉教授は「スペイン風邪は貧富を問わず脅威にさらした。今のコロナ禍に再現されているのではないか、という錯覚にとらわれる」と話す。「日記ではスペイン風邪の政治的、社会的な意味を問うている。真に公平で平等な社会とは何かを考えていた」

 平生はその後、灘購買組合(現コープこうべ)の創設に尽力し、病院も設立。川崎造船所(現川崎重工業)の経営再建では労使協調路線を敷いた。偉業は今に続く。“悪筆日記”は判読できないが、翻刻版から時代の変革期の意味をくみ取りたい。

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