日々小論

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 1944(昭和19)年の夏にサイパン島が米軍に占領され、45年に入って硫黄島で守備隊が「玉砕」すると、これは降伏だと思い始めた。今年90歳になった神戸市在住の元小学校教諭、竹内隆さんはそう振り返る。

 竹内さんが9年前に出版した著書「昭和の戦争とおじいちゃん」には、8月15日の数日前から「戦争終結の機運が強く漂っていました」とある。戦前から戦後の貴重な体験を、孫に語り掛ける文体でつづっている。

 幼稚園のときの観艦式で、大阪湾に集まった軍艦を見て海軍に憧れる。国民学校では米英との開戦後、戦勝祈願の宮参りをし、旧制加古川中学への進学後も軍人志望は変わらない。

 「転進」「玉砕」のニュースは敗れる兆しと思わず、「美しく散華(さんげ)する姿」を想像した。

 勤労奉仕では「戦争のお役に立てる」と勇んだ。尾上(おのえ)(加古川)飛行場で機体の整備を手伝い、鶉野(うずらの)飛行場と三木飛行場の整備造成に携わった。「赤とんぼ」と呼ばれる練習機が急降下や宙返りをする訓練を見ては、遊び半分のように感じた。

 しかし神戸、姫路などに空襲があり、新型爆弾が「瞬時に広島を死の町にした」と伝わってくる。戦意は薄れていった。

 玉音放送のときはラジオの前にいた。聞き取れない放送の途中、竹内さんは父から海に誘われる。ヤスを持ち、透き通った水の中でウナギを突いた。15匹も捕れた。獲物を配った隣近所からウナギの香りが漂った。

 戦後、平和を尊ぶ教師となってから、あの練習機が実は特攻隊の訓練をしていたと知る。

 「急降下、急上昇を繰り返すときのエンジン音が、彼らの悲痛な叫び声として思い返されました」。赤とんぼは竹内さんの記憶の中を飛び続けている。

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