日々小論

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 1941年12月8日の太平洋戦争開戦を境に、新聞やラジオから天気予報が消えた。軍事上の重要機密とされたからだ。一般への公表も禁じられ、測候所の職員はやりきれなさを抱えていたらしい。「天気が荒れるのが分かっているのに地元の漁師に聞かれても教えられない」。開戦時に京都・宮津測候所に勤めていた増田善信さん(97)=東京都=の苦い記憶である。

 広島への原爆投下後に降った「黒い雨」訴訟で、一審に続き原告84人全員を被爆者と認めた高裁判決について、菅義偉首相が上告断念を表明して1カ月余りが過ぎた。少し前、苦難の人生を歩んできた人たちが笑顔で被爆者健康手帳を受け取る様子をニュースで目にした。わずかだが心が軽くなった気がする。

 黒い雨訴訟の一、二審判決が根拠の一つとしたのが「増田雨域」である。今も現役の気象学者である増田さんが88年に示した「国の認めた定説の4倍の範囲で黒い雨が降った」とする説だ。被爆者との約束をきっかけに、住民の証言を一つ一つ集めた結果が評価されたのは、その丹念な仕事ぶりからだろう。

 「神風が吹いて必ず勝つ」。勇ましい言葉が飛び交った戦争末期、増田さんは海軍の気象士官として島根県の基地に配属され、特攻隊員らに気象情報を伝えた。「神風など吹くわけないと思っても言えなかった」と反省の言葉も口にする。

 広島、長崎の惨禍から76年がたったが、被爆者と認められない人が多くいる。「原告と同様の事情の人たちを救済できるよう検討する」。上告断念の際、そう述べた首相はどう対応するのか。増田さんは「取り残されてきた被爆者を一刻も早く救わねば」と訴える。真摯(しんし)に受け止めるべき言葉である。

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