日々小論

  • 印刷

 終戦後にシベリアやモンゴルに抑留され、強制労働に従事して死亡した日本人犠牲者を追悼する集いが先日、東京・千鳥ケ淵戦没者墓苑であった。厚生労働省によると、抑留されたのは約57万5千人で、そのうち約5万5千人が亡くなった。

 〈ペーチカに凭(もた)れしままの座す屍(かばね)〉〈並び寝て毛布めくれば死人なり〉〈拝みつつすまぬすまぬと冬着剥ぐ〉

 この俳句を詠んだ尼崎市の安田優三さんは、シベリアに抑留された一人だ。広島生まれ。1940年に召集され、中国大陸を転戦。戦後、バイカル湖の東にある「ラーゲリ」と呼ばれた強制収容所で2年を過ごした。

 氷点下40度。石炭採掘など過酷な労働を強いられたが、衣服や食事は足りず、所属した部隊の3分の1に当たる500人ほどの戦友が命を失ったという。

 「ダモイ(帰国)ダモイを言い交わし、必ず帰ると心に決め、故郷や家族との再会を夢にしていたのに…『お母さん』と呼ぶ力もなく、消えるように逝ってしまった」と記している。

 帰国後、安田さんは何度もシベリアを訪れている。戦友や遺族らと力を合わせ、草原の真ん中で遺骨収集をした。骨が出てくるたびに線香を手向ける。現場では誰かが唱歌の「故郷(ふるさと)」を歌いだし、そこにみんなの震える声が重なったという。

 〈夏空を鎮めて蒼しバイカル湖〉〈萍(うきくさ)の途切れに覗く友の顔〉〈朋よ来よ手向けし冷酒まわし飲む〉

 収容された遺骨は約2万2千柱と犠牲者の半数に満たない。「一体の置き去りも許されない」と語った安田さんは今年4月、100歳の天寿を全うした。

 〈戦友の三倍を生き豆の飯〉

 凍土の下の仲間を思い続けた生涯だった。

日々小論の最新
もっと見る
 

天気(10月28日)

  • 22℃
  • ---℃
  • 10%

  • 21℃
  • ---℃
  • 30%

  • 24℃
  • ---℃
  • 10%

  • 22℃
  • ---℃
  • 10%

お知らせ