日々小論

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 76年前の終戦直後も、感染症の最前線で命を救い続けた人たちがいた。

 長崎県佐世保市にある浦頭(うらがしら)港。この夏、法事で帰省した折に初めて足を運んだ。

 戦後、旧満州(中国東北部)や朝鮮半島などから引き揚げた日本人は、1945(昭和20)年から50年までに600万人を数える。そのうち約140万人が同港に上陸した。

 今年に入り、港に1人の看護師の名前が刻まれた慰霊碑が建てられた。22歳で亡くなった井手八重子さん。彼女は引き揚げ者を救護し、腸チフスに感染して殉職したとされる。

 故国を目指した人たちを苦しめたのは、飢えだけではなかった。コレラ、チフス、マラリア、天然痘…。引き揚げ者が押し寄せた同港には検疫所などが設けられ、看護師らが日々、手当てを続けた記録が郷土史などに残っている。海を望む現地には説明板があり、「『引揚げる人の身になれ、この援護』を合言葉に不眠不休で活動を続けた」などと記されている。

 慰霊碑は、井手さんの弟が姉の死因などを調べたことを機に建てられたという。わずか22歳で命を落とした彼女の無念さはいかばかりだったろう。

 そして今、コロナ禍で取材した医療従事者たちの姿が井手さんと重なる。「全員救いたいのに、私たちは無力」と苦しむ保健師がいた。「毎日辞めたい。でも毎日患者が運ばれてくるんです」と泣く看護師がいた。

 引き揚げ船の港だった浦頭港は近年、大型クルーズ船の拠点港へと姿を変えた。訪れた日は人影もなく、ただ静けさがあるのみ。再びインバウンドで港が活気づくのはいつの日か。

 古今の医療従事者たちを思い、手を合わせた。

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