日々小論

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 青空の下、雲仙・普賢岳はふわりと白い雲をかぶっていた。昨年11月、大火砕流から30年が過ぎた長崎県の現地を訪れた。

 1990年11月に噴火し、9432回の火砕流が発生した。平成最初の大災害に関心は高かった。91年6月3日の大火砕流のとき、報道関係者、それに同行したタクシー運転手、警戒を呼び掛けていた消防団員と警察官ら43人が犠牲になった。

 報道関係者が噴火を取材するために集まった「定点」と呼ばれる場所が、昨春に整備された。焼け跡から掘り出され、鉄くずのようになった車が災害の悲惨さを物語る。ファインダーをイメージした慰霊碑からは普賢岳が間近に迫って見えた。

 案内してもらった雲仙岳災害記念館の杉本伸一館長(71)は当時、島原市職員で公民館に勤めていた。あの日、消防団の詰め所へ行こうとしたが、同行の町会長が用事を思い出して出発が遅れ、難を逃れた。先に向かった同級生は帰らぬ人に。その経験を小中学生に伝えている。

 避難勧告が出ていた定点で各社が取材を続けたため一般人が巻き込まれた。複雑な思いを抱く住民もいる。その感情を越え、地元の呼び掛けで慰霊の場ができたのは、噴火を知らない子どもが増え、災害を伝えたい気持ちが勝ったからだという。

 碑には「私たちは記憶の風化を防ぐため定点周辺を整備保存し、雲仙普賢岳の災害教訓を未来に活(い)かすことを誓う」と刻んでいる。杉本さんは「整備に時間はかかったが、報道の在り方も含めて考える場に」と話す。

 17日、阪神・淡路大震災から27年を迎える。災害を伝え、後の被害を防ぐことは私たちの責務だが、被災者を傷つけることはなかっただろうか。定点の教訓を思い返す日ともしたい。

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