15年前の1月17日は朝、少し雨が降ったと記憶する。神戸市中央区の東遊園地はまだ芝生が張られておらず、足元がぬかるむ中、「阪神・淡路大震災1・17のつどい」が行われた。
ふと見ると、運動場の端にコート姿の若い男女がたたずんでいる。「つどい」の場に足を踏み入れたいが、深くためらっているようである。足元がよくないせいではなさそうだ。
会場のボランティアの女性がそれに気付き、近づいて声をかけた。二言、三言、言葉を交わし、そっと手を添えて2人を会場に招き入れた。
「大切な人を亡くして…」。夫婦はそれだけ話すと、こらえるように目を閉じたという。
ボランティアの女性はいたたまれずにそばを離れる。その場で取材中の私も見守ることしかできなかった。問い掛ける言葉が見つからなかった。
今も時折思う。あの2人はあの時、あの場所で「大切な人」と心で語り合うことができただろうか。あれから東遊園地を訪れる機会はあっただろうか。
子どもがいれば、自分たちの経験を、胸の内を、話して聞かせる機会があるかもしれない。あるいはまだ、人に語る気持ちになれないかもしれない。
「人生にとって重要なのは、意味を与えることではなく、意味を見いだすこと」。アウシュビッツ強制収容所での体験をつづった「夜と霧」で知られる精神科医ビクトル・フランクルはそう述べている。人生は隠し絵のようなもの。見いだす意志があれば、意味は見いだせるのだと(「意味への意志」)。
この27年、被災者一人一人に人生の起伏があり、それぞれの「意味」があったはずである。あの夫婦は27年という月日をどのように過ごしただろう。
