日々小論

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 ウクライナ軍が街を奪還し、ロシア軍を押し返している。ミサイルでロシアの黒海艦隊旗艦を大破させた。ロシアの侵攻を受けたウクライナの奮闘ぶりが連日伝えられる。

 武力による侵略を仕掛け、市民の虐殺まで疑われるロシアは擁護できない。脅しに屈せず、命懸けで自国を守ろうとするウクライナを国際社会が支持するのも分かる。平穏な暮らしを奪われたウクライナ避難民にはできる限りの支援をしたい。

 だからといって、ウクライナ軍と同一化して戦況に一喜一憂するような日本の空気はなんだかなあ、ともやもやしていたとき、今年の本屋大賞を受賞した逢坂冬馬さんがインタビューでこんな指摘をしていた。

 「ロシアによる一方的な侵略戦争であるがゆえに、ウクライナと主語を共にする報道のされ方が普通になってしまっている。その背景で死んでいく一人一人のことを考えたい」。そして反戦を訴えるロシアの人々への支持も表明した。

 第2次大戦中の独ソ戦が舞台の受賞作「同志少女よ、敵を撃て」は、壮絶な戦闘をくぐり抜けた登場人物たちが、たびたび「私の」「自分の」戦争は一体なんだったのかと自問する。国や軍が主語では語られることのない、戦争の絶対的な無意味さが描き出される。

 先日、元外務省欧亜局長で北方領土交渉に携わった東郷和彦さんの講演を聴いた。ロシア視点の分析は、ウクライナの徹底抗戦を後押しする米国や日本政府に手厳しかった。一方で「一刻も早く戦争を終わらせるため私に何ができるか、そればかり考えている」とも述べた。

 戦争を正当化する論理に絡め取られないよう、「私は」で語られる言葉をすくい上げたい。

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