日々小論

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 初めて沖縄を訪れたのは1972年の本土復帰から十数年たった頃だった。大学の春休み、旅行用の自転車を携行して大阪・南港から貨客船に乗った。翌々日の朝、那覇に着いた。

 港で自転車を組み立て、ユースホステルに泊まりながら国道58号を北上。嘉手納、名護を経て本部半島まで走行した。

 車道を走っているとき荒っぽい運転が多いと感じた。ナンバーはひらがなではなく「Y」。米軍関係者の車だった。次は突然、耳が痛いほどの爆音。国道の真上を戦闘機が横切った。フェンスの向こうの芝生には住宅が点在していた。基地問題についての予備知識をほとんど持たず、驚くことばかりだった。

 旅の最後、那覇沖にある慶良間(けらま)諸島の渡嘉敷(とかしき)島に渡った。海が美しいと勧められたからだ。ビーチには透明なブルーが広がり、天国のようだと感じた。

 太平洋戦争末期の1945年3月26日、米軍が最初に上陸したのがその慶良間諸島だった史実は後に知った。渡嘉敷島では米軍に捕らわれるのを拒み、住民同士で殺し合う「集団死」があった。あの島で…と信じられなかった。沖縄戦の理解には想像力が必要だと今も思う。

 当時16歳で、後に沖縄キリスト教短大学長を務めた金城重明さんは、渡嘉敷島で母と妹、弟を手にかけたと証言した。95年に戦後50年を迎えたとき、金城さんは「沖縄には、再び私たちに加害者の役割を強いる米軍基地が居座り、現実は節目とは程遠い」と語っている。

 今月15日で本土復帰から50年となる。沖縄の人たちは米軍の統治下から平和憲法の日本への返還を望んだと聞く。米軍基地の整理縮小は進まず、今もまだ「節目とは程遠い」現実が続いている。残念でならない。

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