日々小論

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 「泥だらけの自分を受け止めてもらっている」。先日取材した明石市の多久島晶子さん(49)から届いた手紙には、ストリートピアノで出会った人々への感謝がつづられていた。

 幼いころから「他人には当たり前のことが自分にはそうではなく、否定され続けてきた」という。父親に疎まれていると感じ、「女性」と言われることに激しい嫌悪感もあった。心を病み、自殺未遂を繰り返し、声を失っていた時期もある。足が不自由になり、車いすの自らを「マイノリティーの塊」と語る。

 大切な居場所の一つが、地元や神戸のストリートピアノだ。大学でピアノを専攻した腕前でクラシックの曲を弾くと、涙しながら聴いている人、お礼にとイチゴをくれた人、コンビニに走りピザまんを買ってきてくれた人もいた。大事に家に持ち帰り、母親と半分ずつ味わった。

 ある日は障害者手帳が見当たらず、バスで運賃の支払いに手間取っていると、「駅で弾いている人ね」と同じ停留所で降りる乗客が払ってくれた。「どうやって返せばいいですか」と尋ねると「またピアノを聴かせて」と言って、去ったという。

 ここ数年、全国で急速に広がったストリートピアノ。コンサートホールと異なり、開放的な空間で演奏レベルに関係なく音楽を楽しめ、いい光景だなと見てきたが、弾き手と聴衆にそんな交流が育まれていたとは。

 街角に中古のピアノを一台置く。ただそれだけのことが生み出す効果と、そこに集う人々にとっての存在の大きさに、今更ながら驚いている。

 「自分も生きてていいんだと思える場所」と多久島さん。どうかストリートピアノがブームで終わらず、この先もずっと続きますように。

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