右か左か、仕事の要領が少しは分かり始めた駆け出し記者のころ、デスクに言われた言葉を覚えている。
「まねることを恥じんでええ。ええものは、どんどんまねたらええねん」
記者がまねるのは、記事の切り口や文体だ。デスクの言う通りだと思い、毎日、新聞各紙を読み、気に入った記事をせっせと切り抜いた。そうしていくつかの記事を書いた。今でも正しい記者トレーニングだと思っている。分野は違えど、どの世界も同じはずだ。
だからだろう。その言葉を聞いたとき、体がゾクッとした。
「日本を日本化する」
イビチャ・オシムさんである。サッカー日本代表監督の就任会見で語った。今月1日、80歳で亡くなった。
日本のサッカー界は、先進国のスタイルをまねようと必死だった。スペイン風かイタリア風か、はたまた南米風か。日本には「スタイルがない」と思い込んでいるかのように。オシムさんの言葉で目が覚めたのか、日本サッカー協会は今、日本人の良さを生かす「Japan’S Way」を育成方針に掲げる。
「日本を日本化する」は、我流に言い換えれば「自分を自分化する」ということだ。
武芸や茶道の修行過程を示す言葉に「守破離」がある。まずは教わった型を覚え、いずれ破り、離れて別の型をつくる。
だが今は思う。別の何かを目指すのではなく「自分」に戻ればいい。なんと自然な営みか。
オシムさんが試合後の会見をするとき、記者たちは、偉大な教師を待つ生徒の心境で待ちかまえたという(木村元彦著「オシムの言葉」)。
喪失感を抱いているのはサッカー界だけではない。
