日々小論

  • 印刷

 例えば女性が差別や性暴力を受けたと自ら声を上げたとする。その際、訴え出た側が世間からの逆風にさらされることは少なくない。

 相手男性の社会的地位が高いほど、そうした傾向は強くなる。「あの人がそんなことをするはずがない」などとかばう声は、被害者へのバッシングを増幅させる。「女性の方に落ち度があったのでは?」「騒ぎすぎ」「男性ははめられたようだ」という風に。

 記憶に新しいのが2018年の財務事務次官の一件だ。女性記者へのセクハラが週刊誌で報じられ、次官は認めないまま辞任した。「セクハラ罪という罪はない」とは当時の麻生太郎財務相の弁である。

 横山ノック事件というのもあった。1999年の大阪府知事選に出た横山氏が選挙運動員の女性にわいせつ行為をしたとして告訴され、知事を辞職。翌年、強制わいせつ罪で有罪判決を受けた。作家の曽野綾子氏が「被害を受けた時に声を上げず、司法に救済を求めるのは甘え」などと女性を攻撃した。

 つい先日。順天堂大医学部の女性差別入試に対して損害賠償を求めた13人の元受験生が勝訴した。ただ、原告は尋問や記者会見に参加しなかった。その理由について、判決後に原告側の弁護団がコメントを出した。

 「医療界、大学病院という『権力』に相対しなければならないこと、日本社会の構造的な女性差別に対して声を上げることに伴う不利益や偏見を恐れて、訴訟に参加していること自体を秘匿する必要があった」

 ノック事件の被害者は、友人からも疑いの目を向けられ苦しんだという。残念だけれど、泣き寝入りを迫るような社会の冷たい風は過去のものではない。

日々小論の最新
もっと見る
 

天気(8月18日)

  • 30℃
  • 25℃
  • 70%

  • 31℃
  • 24℃
  • 70%

  • 31℃
  • 25℃
  • 70%

  • 32℃
  • 24℃
  • 80%

兵庫県内に 警報 が発令されています

お知らせ