日々小論

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 アルバイト先の料理店の洗い場は、皿やコップなどであふれた。それを年配の女性が1人でさばいていた。「これで家を支えてんねん」と言いながら。

 洗い場にテレビがあった。忙しいときは切っているのに、その日はずっとついていた。泡にまみれた手をそのままに、じっと画面を見つめる姿を今も覚えている。

 1972(昭和47)年2月、連合赤軍のメンバー5人が、銃を手に長野県軽井沢町の「あさま山荘」に立てこもる事件が起きた。警察が強行突入した日、テレビ各局は長時間の生中継に入った。NHK、民放を合わせた総世帯視聴率は、最高89・7%にもなった。凍える山中での出来事をたくさんの日本人が見つめていたことになる。

 「同時代の人々が共有した社会体験」と、ノンフィクション作家の保阪正康さんが本紙で書いていた。「物書きの道」に入ったばかりの保阪さんは、喫茶店で編集者と打ち合わせをしながらテレビを見ていたそうだ。戦争を知る世代の編集者は「鉄砲を撃つ怖さを知らないんだ」と繰り返したという。

 何が起きたかが歴史の表面なら、それを当時の日本人がどう受け止めたかは歴史の裏面である。両方がそろって、やっと時代の素顔が見える。

 あさま山荘事件から50年。連合赤軍の幹部に死刑判決が言い渡されて、明日で40年になる。

 時代の結び目にあって、ちょっと考えてみる。当事者や専門家が50年前を振り返っている。しかしテレビの前にいた89・7%もの日本人が何を思ったか、確かな分析は記憶にない。

 苦労人だった洗い場の女性はどう受け止めたのだろう。眉根を寄せた表情が、すべてを語っていたように思うけれど。

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