論ひょうご

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 夏空に映える白亜の姫路城はため息の出るような美しさだ。しかし、この白鷺(しらさぎ)城が最も白く市民の目に映ったのは、1945(昭和20)年9月の「その時」だったのではないか-。

 姫路市立城郭研究室の工藤茂博さんはこんな問いを投げ掛ける。

 戦時中、防空対策として黒く染めたわら縄で擬装網を作り、天守閣や櫓(やぐら)、土塀を覆った。縄は直径6ミリ、網目は3センチと6センチ。上下に丸竹を取り付け、くぎにつるした。42年5月にまず天守閣で、続いて外から見える櫓や土塀などは翌43年12月に取り付けを完了した。

 当初はペンキを塗る案も検討されたというが、結局はわらで被覆することになった。

 城内に当時の写真2枚が展示されている。黒い天守の光景に息をのむ。いま間近にある輝く白と70年余り前のくすんだ黒。時空を超えた対比に胸を突かれた。

 擬装されていた約3年間を工藤さんは「黒鷺(くろさぎ)城の時代」と呼ぶ。終戦の翌月、網が取り払われたその時、復活した白鷺に市民はどれほど励まされたことだろう。

 歴史小説の泰斗、吉村昭さんは姫路を舞台にした『遠い日の戦争』で当時の様子を記す。〈城が高く聳(そび)え天守閣や櫓の漆喰(しっくい)壁が白いので、来襲敵機の好目標になることをおそれ〉た-と戦時中の状況を描く。

 再び白に戻ったときの人々の気持ちは、登場人物でマッチ箱工場の経営者である寺沢に語らせた。

 〈「(戦時中)お城の印象が暗くなったが、終戦後、網を取り払い、また明るいお城にもどった」。寺沢は見あきぬように、城を見つめていた〉

 先の大戦では、名古屋城や広島城、和歌山城などの天守閣が空襲で焼け落ちた。姫路市への第1回空襲は45年6月22日、第2回は翌7月3日。市街地の大半は焼失し、500人以上が亡くなった。姫路城がなぜ残ったか、真因はいまもよく分かっていない。

 ただ擬装という史実に触れると、「国宝」や「世界文化遺産」に選ばれた城の存在そのものが、一段と貴重に思える。

 平成の大修理以降、年間200万人以上が訪れ、にぎわいが続く。城の西の丸、百間廊下の外壁に、擬装網を掛けるために打ち込まれたL字型のくぎが、いくつも残っている。

 白を白として愛(め)でられなかった「遠い日」の痕跡に目を凝らす。

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