画家、安野光雅さんの「雨降りお月さん」の話はおもしろい。戦後、復員し、山口県の小学校で教員採用されるとき、「音楽はやれますか」と聞かれた。「ハイ」と答えはしたものの、実のところピアノには触ったこともない◆教壇に立つまでの間、童謡「雨降りお月さん」を弾けるまで猛練習し、受け持ちの児童には1年間、その歌だけを教え続けた。学芸会の発表は「雨降りお月さん」の劇である。素直ないい子たちだったのだろう◆「旅の絵本」シリーズなどで知られた安野さんの訃報に、滋味あふれるその人のエッセーを思い出す。筆致は絵に似て柔らかく、おかしみがあって、ちょっぴり切ない◆かつて小欄でも紹介した挿話が好きなので、もう一回書く。終戦から間もないころ、バスを待っていると、朝鮮人のおばあさんに話しかけられた。「ヒトリダマリノミチナガイ、フタリハナシノミチミジカイ」◆安野さんは書いている。「わたしはそれまでこのように美しいことばを聞いたことがないし、これからも聞かないであろう」(「絵のある自伝」)。一人で黙っているより、二人で話そ-。唱えれば胸にしみる◆あちらの世界の書店には、そのうち「旅の絵本・天国版」や新作のエッセー集が…。想像でもうらやましい。2021・1・20
