正平調

時計2021/04/18

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大正時代の神戸にまつわる資料を読んでいて、オヤッと思うことがあった。1920(大正9)年の人口が東京、大阪に次いで多かったのだ。3位? 町に何が起きていたのだろう◆造船や鉄鋼などの産業に勢いがあり、兵庫県内はもとより各地からたくさんの働き手が集まった。新しい住民には次男が多かったのだろう。当時の紙面を繰ってみると、「神戸は次男坊の町」とあるのが興味深い◆それぞれの町にそれぞれの青春時代がある。神戸は労働者の町としてグンと背が伸びた。ただしみんなが仕事に恵まれたらいいが、暮らし向きの厳しい人も少なくなかった。今風にいえば格差社会でもあった◆コープこうべが創立100年の歴史を刻んだ。前身の購買組合ができたのは1921年だから、神戸の人口が膨れ上がったころである。その熱気と無縁の人々に手を差し伸べるところから、時計の針が動き始めた◆指導した社会運動家、賀川豊彦の自伝的小説「死線を越えて」にこんなくだりがある。貧しい人の苦しみは「大きな都会に知人がいないということだ」。独りぼっちにしない。相互扶助の原点かと受け止める◆何があろうと弱い立場の人を支えてほしい。生協らしい清廉さを忘れずに。百寿をことほぎながら、そう願う。2021・4・18

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