正平調

時計2021/05/05

  • 印刷

ちょうど150年前、赤穂藩士7人が同藩の7人を紀州で討ち取った。親や上司の敵(かたき)である。同郷の大石内蔵助らの討ち入りから168年。当時は「もうひとつの忠臣蔵」として世間の耳目を集めた◆ただ、忠臣蔵と呼ぶには、事情がいささか複雑だ。報復のきっかけは、その9年前の文久事件。尊皇攘夷(じょうい)を唱える下級武士13人が、藩の重臣を暗殺した。下々の困窮を憂えての決起だが、そこにお家騒動が絡む◆急死した重臣に代わり、かつて失脚したライバルが復権する。事件処理でまず着手したのは、殺された側の子息の追放。襲撃側に重い処分はなかった。当然遺恨は募る◆当初は暗殺した側を称賛した世論は、次第に襲われた側への同情に変わる。藩からも邪魔者扱いされ、若い志士たちは次々と自刃した。生き残った者も、あだ討ちに遭う。権力争いに利用されたとの見方もある◆忠臣蔵の影響が色濃い赤穂で、それぞれが「義」を追求した結果が二重三重の悲劇を生む。赤穂市立歴史博物館の木曽こころ学芸員は「双方のしこりは長く残り、近年まで触れにくい空気があった」と指摘する◆党派、思想、宗派というものは理論のよろいを持つ。正義も多様だ。身軽になって話さないか。動乱期に散った武士たちの重い遺言だ。2021・5・5

正平調の最新
もっと見る

天気(5月17日)

  • 25℃
  • ---℃
  • 80%

  • 25℃
  • ---℃
  • 90%

  • 26℃
  • ---℃
  • 80%

  • 26℃
  • ---℃
  • 90%

お知らせ