社説

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 一人一人の被災者の生活をできる限り元の状態に戻す。

 列島各地を次々と災害が襲い、つらく悲しい経験を重ねる中で、私たちが求め続けた生活再建支援の原点だ。22年前の阪神・淡路大震災後、それぞれの災害で被災した住民や自治体、支援の人たちが社会を突き動かした結果、施策は厚みを増した。

 きょうで東日本大震災から6年になる。激しい揺れ、津波、原発事故と未曽有の被害に見舞われた被災地の歩みを振り返り、今の姿に目を凝らしたとき、多くの人の胸に一つの問いかけが浮かぶだろう。

 被災者はどこまで元の生活を取り戻しつつあるのか、と。

 宝塚市の元高校教諭から一編の詩が届いた。大震災の翌年、宮城県の高校3年生が書いたもので、県の高校文芸作品コンクールで最優秀賞を受賞した。ネット上で広がり、記事でも紹介されている。

 タイトルを「潮の匂いは。」という。一節を紹介したい。

 〈“絆”と言いながら、見えない恐怖を僕たちだけで処理するように、遠まわしに言う。“未来”は僕たちには程遠く、“頑張れ”は何よりも重い。お前は誰とも繋(つな)がってなどいない、一人で勝手に生きろと、何処(どこ)かの誰かが遠まわしに言っている〉

 鋭い言葉が被災地を覆う孤立感を切り取り、私たちに突きつける。当時も、そして今も。そう思わせる現状が東北に広がる。

■戻らない住民たち

 原発事故の影響が続く地区で、津波の被害を受けた地区で、人口減少と住民の高齢化が進む。もともとの傾向に大震災で拍車がかかった。各自治体は「震災前は『町おこし』だったが、今はまず『町残し』だ」(馬場有(たもつ)・福島県浪江町長)という厳しい状況にある。

 福島県内ではこの春、浪江、富岡両町などの一部で避難指示が解除される。しかし復興庁の調査では、両町住民の5割以上が「戻らないと決めている」と回答した。特に30代以下では7割前後に達した。既に避難指示が解除された地区でも、戻った住民の割合は13・5%にとどまる。

 若い世代を中心に、避難先で新しい生活をスタートさせた被災者は多い。子どもの進学のほか、買い物や通院などが不便になるのも「戻らない」理由に挙がる。放射線への不安は依然として大きい。

 津波被害の岩手、宮城両県では、内陸や高台への移転、盛り土によるかさ上げが進むが、長い避難生活で戻れない住民が離れてしまった。

 津波対策を講じた造成地では更地が広がり、真新しい災害公営住宅ではまだ空室が目立つ。一方、住み慣れたまちを離れ、今も避難生活を送る人たちは全国で約12万3千人に上る。このうち約3万6千人は仮設住宅で暮らす。6年の歳月で、被災者を取り巻く状況の違いがより際立ってきたと言えないか。

■一人一人を支える

 長引く避難生活は人々の心身を疲弊させていく。公営住宅などへの転居が進めば仮設住宅でもさらに空室が増え、住民の孤立感が増す。中でも、1人暮らしの高齢者が取り残されるケースが多い。

 地元の新聞社、河北新報の調査では被災3県の公営住宅と仮設住宅での「孤独死」は、2016年末時点で243人に上る。復興庁によると、大震災後に体調が悪化し亡くなった震災関連死は3518人だ。

 時間とともに必要な支援は変わっていく。見守りや生活支援相談員といったサポートの拡充はその一つだろう。医療や介護、教育の環境整備も欠かせない。

 福島では避難指示解除とセットで、国の原発政策の被害者と言うべき自主避難者への支援や東京電力の賠償金の支払いなどが徐々に打ち切られ、人々は自立を強いられる。

 国は「除染が不十分」の声に耳を傾けず、暮らしは震災前の姿から遠い。もう一度、生活再建支援のあり方の原点に戻る必要がある。戻る、戻らないにかかわらず、それぞれに寄り添い、ニーズを探るべきだ。

 大震災を経験した高校生が突きつけた言葉に応えるためにも、一人一人を最後まで支える意識を再確認したい。被災地で、遠く離れた私たちのまちで。被災者や避難者を孤立させてはならない。

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