社説

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 東日本大震災の被災地では、災害の記憶を他地域や次世代に伝える取り組みが広がりを見せている。被災者が自らの経験を伝える「語り部」活動はその代表的なものだ。

 ただ、歳月が流れるにつれて経験を語れる人は少なくなる。震災から22年が過ぎた阪神・淡路の被災地では、高齢化する語り部を若い世代が引き継ごうと努力している。そうした実践を東北にも伝え、風化を防ぐ努力をともに重ねたい。

 一方、東日本でも新たな活動が芽生えている。アートと記憶の掘り起こしを融合させる取り組みだ。

 こんな例がある。

 津波の被害を受けた仙台市若林区は一帯がさら地のままだ。そこに若手の女性アーティストがバス停のオブジェを置いた。「ここで誰かを待っている」。そんな雰囲気を醸し出す作品が評判を呼び、「バス停」は二つ三つと増えた。昨年12月には地元団体が市の協力を得て1往復だけの市バス運行を復活させた。

 懐かしい路線バスで地元に足を運んだ住民らは、口々に震災前の地域の様子や災害時の経験を語った。

 災害の苦難の体験を言葉にできる人はそう多くない。胸の内を他人に語れるには、気持ちが自然にほぐれる場づくりが必要だろう。

 アートには心を動かし、人をつなぐ力がある。「特に東日本では被災者と作家による“対話型”の活動が目を引く」。そう指摘するのはひょうご震災記念21世紀研究機構の研究員、高森順子さん(33)だ。

 自らも亡くなった伯父の志を継いで阪神・淡路の遺族や被災者らの手記集を編さんしてきた。災害伝承の研究者として、個々の言葉を記録することに意味があると考える。

 阪神・淡路では、防災・減災の「教訓」を引き出そうと意識するあまり、言葉が一方通行になっていないかと危惧する声が聞かれる。

 「本来、言葉は誰かが他者の話を聞くことで生まれる。東日本では、外部の人たちが耳を傾ける姿勢を大切にし、被災者の多様な言葉を聞き出している」と高森さん。

 生活再建が見通せない状況で思いを口にできない人もいる。それでも人から元気をもらうこともある。対話によって紡ぎ出された言葉を記録して未来に伝えるのは、支援者や研究者らの役割だ。東日本での取り組みに学ぶことは多々ある。

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