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 朝鮮王朝が江戸時代の日本に派遣した外交使節「朝鮮通信使」に関する資料が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録された。

 当時の文書や絵巻など333点で、日韓両国が共同申請し、歴史的な価値が認められた。

 通信使の訪問は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で断絶した国交を回復する目的で始まった。徳川将軍の代替わりの際などに来日し、善隣外交を積み重ねた。

 朝鮮半島と日本には古代から続く交流の歴史がある。戦乱による関係悪化を修復した先人の努力に学ぶ点は少なくない。

 円滑とはいえない現在の日韓関係だが、登録を未来志向の関係を育む契機としたい。

 通信使は、団長の「正使」を筆頭に、武官や文官、医師、楽隊など300~500人の規模だった。韓国・釜山から海路、長崎・対馬に入り、瀬戸内海を経て大阪、京都から陸路、江戸方面に向かった。

 約200年間で12回来日し、各地で歓待されている。兵庫では、たつの市の室津や神戸市の兵庫津が寄港先となり、姫路藩が応接役を務め、豪華な料理などでもてなしたとされる。

 たつの市では、そうした地元の歴史を掘り起こし、日韓友好につなげる市民グループの活動が続く。自分たちの地域が果たした役割に光を当てる取り組みには大きな意義がある。

 ユネスコは2年に1度、記憶遺産の登録の可否を審査する。今回、奈良時代に建てられた国内最古級の石碑群「上野三碑(こうずけさんぴ)」(群馬県)も登録され、大陸との交流を伝える漢字の碑などが通信使とともに評価された。

 一方、第2次大戦中に「命のビザ」で多くのユダヤ人難民を救った外交官・杉原千畝(ちうね)の資料「杉原リスト」の登録は認められなかった。引き続き国際社会の理解を得る努力が必要だ。

 また、中国や韓国の団体が登録申請し、日本などの団体が異論を唱えていた従軍慰安婦の資料は、判断が先送りされた。ユネスコは「当事者間の合意に留意する」とし、将来に対立の火種を残したといえる。

 記憶遺産は未来に伝える人類の共有財産だ。論争よりも、過去を乗り越えてきた共生の知恵を大切にすべきだろう。

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