社説

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 神戸・阪神間を拠点に活動した作家の田辺聖子さんが亡くなった。高齢になり、ある程度覚悟していたとはいえ、“おせいさん”の新作がもう読めないと思うと、さみしさを覚えざるを得ない。

 文学と人間を愛した人だった。小説や古典、エッセー、川柳など多彩な分野で、男女の哀歓や人生の妙味などをユーモアたっぷりに描き、数多くの名作を生み出した。芥川賞受賞作の「感傷旅行(センチメンタル・ジャーニイ)」や「ひねくれ一茶」など作品を出すたびに、多くの読者に支持された。登場人物に共感できる部分が多いのも大きな魅力だった。

 作品と同様、人生も波乱に満ちていた。大阪の写真館に生まれ、ハイカラな生活を送っていたが、空襲で生家が全焼した。金物問屋で働き、家計を支えながら小説家を志した。

 結婚に至る経緯もドラマチックだ。友人だった女性作家が急死し、新聞に追悼文を書いた。これをきっかけに友人の夫だった川野純夫さん(2002年死去)と出会い、結ばれた。後にエッセーにもよく登場した「カモカのおっちゃん」のモデルとなったのは有名だ。

 「書きたいのは人間の優しさ」「徹底的な悪人や救いのない悲劇は書けない」。こう話していたのは、日常にある喜びや悲しみに正面から向き合っていたからだろう。作品は多くの人に生きる勇気を与えた。

 兵庫県とのゆかりは深い。尼崎市に二十数年、医師だった純夫さんが所長を務めた診療所のあった神戸市兵庫区に約10年暮らした。いずれも庶民の暮らしが息づく街で、作品の土壌にもなった。その後、伊丹市に移り、10年前に名誉市民になった。

 だからこそ神戸や阪神間への思いは強い。阪神・淡路大震災の直後、手記に「女性が元気でいるかぎり、神戸は美しく復興する」とつづり、被災地を元気づけたのは印象的だった。

 宝塚歌劇団の大ファンでもあり、自らの生活にも夢と楽しみを求めた。人に贈る色紙には「まいにち ばらいろ」としたためた。自由に生き、多くの人を楽しませた。きっと満足のいく91年の人生だったに違いない。

 冥福を祈りたい。

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