社説

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 先の大戦では約310万の日本人と約2千万もの海外の人たちが犠牲になった。

 国家元首であり、陸海軍を統率する大元帥でもあった昭和天皇の生の言葉は、歴史を検証する上で大きな意味を持つ。

 このほど公開された初代宮内庁長官、田島道治の「拝謁(はいえつ)記」には戦後、昭和天皇が田島に語ったとされる発言が詳細に記されている。人間像に触れる意味でも第一級の資料といえる。

 印象深いのは、壊滅的な敗戦に至った悔恨の情が随所にみられる点だ。「反省」を自分の言葉で国民に伝えたいと何度も口にしていたことが分かる。

 その思いは実現しなかった。だが「平和国家」の理念が揺らぐ今、昭和天皇が「反省」に何を込めようとしたか、真意を考えることは重要だ。

 1952年のサンフランシスコ講和条約発効で独立を回復するに当たり、昭和天皇は自分の「演説」について田島に政府との調整を命じている。

 その際、自分の責任問題について従来のようにカムフラージュするか、ちゃんと実情を話すか、問い掛けたとされる。

 「反省の文句」はどうしても入れねば-。そうした言葉には軍部の暴走を止められなかったという苦渋の念がにじむ。

 ただ、昭和天皇が主に語りたかったのは、自分も含め多くの者が軍部に押し切られた経緯ではないか。「みんなで反省して二度と繰り返さないよう」という趣旨の言葉も述べている。

 結局、当時の吉田茂首相らの反対で「反省」は条約発効時のお言葉から削除された。東京裁判で戦犯の処罰が終結しており、天皇の責任問題の再燃を懸念したためでもあるだろう。

 先の大戦は「誰も決定的に戦争に歯止めをかけることをしなかった結果だった」と歴史学者の堀田江理さんは指摘する。昭和天皇が「反省」を公の場で語れば、なぜ国を挙げて無謀な戦争に突き進んだか、国民も含めた関与と責任の問題が掘り下げて議論されたかもしれない。

 ノートなど18冊の克明な記録には「歴史を残さねば」という田島の使命感が伝わる。公文書の改ざんや廃棄が発覚した中央省庁は、後世に対する責任の重さを改めて肝に銘じるべきだ。

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