社説

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 阪神・淡路大震災は「ボランティア元年」と呼ばれる。1年間で137万人が駆けつけ、その圧倒的なうねりに、市民社会の実現を期待する声も多かった。

 25年を経て災害ボランティアは被災地の復旧や被災者支援に欠かせない存在となった。活動を支える仕組みづくりも進む。

 だが、災害が起きるたびに支援の隙間に取り残される被災者が生まれる。一人一人が自立して地域の課題を解決する市民社会は根付いたのか。震災ボランティアとは何だったのか、いま一度見つめ直したい。

       ◇

 「元年」を担った震災ボランティア“第1世代”が活動の「原点」に立ち返る取り組みを始めている。

 震災直後から活動を続ける災害救援ボランティア団体「被災地NGO恊働センター」(神戸市兵庫区)は昨年4月から、月1回のペースで25年を検証する勉強会を開いた。年代も震災体験の有無もばらばらな参加者との議論を通じて、ボランティアのあり方を問い直す試みだ。

〈strong〉言われなくてもする〈/strong〉

 指定された場所で指示された作業をこなすが、被災者と言葉を交わす機会はあまりない。最近の被災地で見られるボランティアの姿である。

 現地の社会福祉協議会などが開設するボランティアセンターが窓口となる例が多い。だが被災者ニーズを十分把握せず受け入れを制限するケースもある。制約の多い運営方法などに疑問を感じるとの声が相次ぐ。

 一方、勉強会では「若い世代は、それが当たり前だと思っている」との指摘も出た。恊働センター初代代表で現顧問の村井雅清さんは、これに衝撃を受けた。

 25年前、ボランティアの大半は初心者だった。現在のような受け入れ態勢も整っていなかった。「それでも現場に飛び込み、一人一人が目の前の被災者と出会って考え、動いた。だからさまざまなニーズに対応した活動ができた」と振り返る。

 混乱する行政の対応の隙間を埋めたのが、自由な発想で動いた個人ボランティアの存在だった。「十人十色」の課題を抱える被災者を最後の一人まで救う。そのためには支援する側がより多様性を備え、さまざまな制約から自由でなければならないと、村井さんらは考える。第1世代が身をもって示した姿といえる。

 「言われてもしない、言われなくてもする」。震災ボランティアの間で受け継がれてきた言葉だ。それが「言われたからやる」という空気に変わってきたのなら、失われたものがあるのではないか。

 「ボランティアとは何か」との問いに向き合い、世代や立場を超えて議論することが求められる時期にさしかかった。

〈strong〉小さな活動を大切に〈/strong〉

 1998年、ボランティア団体などに法人格を与える特定非営利活動促進法(NPO法)が成立した。現在、NPO法人は全国で5万1千、兵庫県で2千を超え、多くが地域の福祉やまちづくりを支えている。

 いち早く認証を受け、その後の法改正で認定NPO法人となった「コミュニティ・サポートセンター神戸」は今月、神戸市灘区の公園内に地域共生拠点「あすパーク」をオープンさせた。中村順子理事長は「25年の新たなスタートはどうしても公園から始めたかった」と話す。

 25年前、被災者に水を届ける活動を始めたのが公園だった。被災地が日常を取り戻すにつれ、行政の手が届かない介護や居場所づくりなどの地域課題に活動を移した。

 だが、NPOの組織化を促す仕組みが整う一方で「小さな活動や個人ボランティアとの隙間が生まれている」と中村さんは指摘する。「一人一人が尊重され、誰にも役割と居場所がある市民社会をつくらなければ、少子高齢化を乗り切れない」と危機感を語る。

 非常時も平時も、制度から取り残された「一人」を救うのは市民の多様なありようだろう。なぜボランティアをするのか。答えを考えることから、新たな一歩が始まる。

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