社説

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 この10年間、東日本大震災の被災地では、津波の脅威を伝える遺構の整備が進む。一方で爪痕を残す多くの建物などが姿を消した。

 忌まわしい出来事を思い出したくない。いや、後世への教訓のために保存しなくてはならない。

 災害遺構が失われる背景には、被災者同士の葛藤があることが少なくない。地域の意見が割れ、中には訴訟に発展した事例もある。

 時間の経過とともに記憶の風化も進む。災禍を伝える「物言わぬ証人」が失われると、次世代への継承が困難になりかねない。

 だが、解体を求める遺族らの心の痛みも理解できる。多様な住民の声を記憶の継承にどう生かせばいいのか。大災害の遺構保存の在り方を改めて考えたい。

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 止まったままの時計、室内で横転した車両、激しく崩れた外壁…。遺構は災害時に起きた事実を生々しく伝える。これまでに青森を含む被災4県では、遺構を含む伝承施設が270カ所以上も生まれ、多様な教訓を国内外に伝えてきた。

 一方で代表的な遺構の解体も相次ぐ。大勢が犠牲になった岩手県大槌町の旧役場庁舎は、保存を求める住民らが解体差し止め訴訟を起こしたが敗訴し、一昨年に取り壊された。同じ大槌町ではいま、観光船が乗り上げた民宿建物の解体工事が終わろうとしている。

子どもたちは訴える

 建造物は取り壊すと二度と元には戻らない。とはいえ、遺構として保存、整備しても地元の協力がなければ、維持管理に支障が生じかねない。保存、解体のいずれにしても、住民の十分な理解が不可欠だ。

 ヒントにしたい事例がある。

 津波で児童74人、教職員10人が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校ではいま、遺構として残すための工事が進む。今春開館の予定だ。

 児童の遺族らが市と県に損害賠償を求めた訴訟で、学校側の過失を認める判決が一昨年確定した。

 保存か、取り壊しか、住民の意見が分かれる中、市は2016年、保存の方針を決定した。後押ししたのは、被災当時の在校生や卒業生の一部が上げた声だった。

 「何が起きたかを知ってほしい」「私たちの心の居場所として残してほしい」。元児童らは住民集会でも意見を表明した。

 遺構として整備された宮城県女川町の旧女川交番も、解体を望む住民が少なくない中、当時の中学生たちの保存を求める声が、きっかけの一つになったという。

 「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう…」。原爆ドームも、所有する広島市の方針が保存へと傾く契機になったのは、放射線障害に苦しみ、被爆から15年後に16歳で亡くなった少女の日記だった。

 災害や戦災を体験した子どもたちの中から、遺構の保存を望む声が上がる。言葉にできないほどつらい目に遭いながらも、惨禍を乗り越え未来に向けて生きようとする。

 そうした気持ちに、大人は先入観なく耳を傾け、一人一人の思いに心を寄せるべきではないか。

未来につなげる努力

 町職員ら43人が犠牲になった南三陸町の防災対策庁舎の存廃は、宮城県が31年まで所有することで結論を先送りしている。判断をさらに次の世代に委ねた形である。

 遺構の保存に詳しい大石雅之・岩手県立博物館元学芸部長は「次世代の意見を反映する工夫がもっとあっていい」と指摘する。時間の流れの中で幅広い声に真摯(しんし)に向き合うために、知恵を絞る必要がある。

 阪神・淡路大震災の被災地では、遺構がほとんど残っていない。大規模な基盤整備や都市機能の再生が優先された結果と言えるだろう。

 自然災害が多発する日本では、今後も遺構の保存という課題に向き合い続けねばならない。東日本で続く試行錯誤の経験を共有、蓄積し、未来へつなげる努力を重ねたい。

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