社説

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 時がたっても心の傷が癒えず、苦しむ人は少なくない。東日本大震災の死者、行方不明者は1万8千人を超える。10年が過ぎた今も2525人が見つかっていない。

 津波に家族をさらわれた被災者を支援する中で、「あいまいな喪失」という考え方が注目されるようになった。本当に失ったかどうかがはっきりしない不確実な心の状態をいう。あいまいさが解決しないため、死別の悲嘆とは異なる複雑な感情やストレスを抱くとされる。

 終わりの見えない喪失感が引き起こす苦悩は、周囲には分かりにくいかもしれない。それでも、そのつらさに思いをはせたい。悲しみとの向き合い方を考えることは、多発する自然災害やコロナ禍に直面する私たちにも、意味を持つはずだ。

    ◇

 「がんばれ一本松」と題した作文がある。岩手県陸前高田市の小学3年生が震災の翌年に書いた。

 「ぼくのお父さん どこにいるかみえないかな。みえたらおしえて一本松 おねがいするよ」

 男児の父親は津波で行方不明になった。この作文は、災害や病気などで親を亡くした子どもたちを支援するあしなが育英会のケアの一環でつづられたものだ。

 あしなが育英会が確認した東日本大震災の遺児は2083人に上る。阪神・淡路大震災の573人をはるかに上回る。東日本の場合、約2割の遺児は震災後1年の時点で家族の安否が判明していなかった。

 「どこかで親は生きている」と信じたいのに、墓を建てることになった-。遺児らの作文からは、揺れ動く気持ちが伝わってくる。

 「あしなが育英会・神戸レインボーハウス」の職員富岡誠さんは「東北でも神戸でも、子どもたちが自分の心にゆっくり向き合えるよう、ありのまま受け止めようと努めてきた」と話す。

もやもや感を抱えて

 困難や悲しみに直面したとき、何とか向き合い、軌道修正して新たに歩みだそうと努力する人は多い。一方、家族が行方不明であるなど、失ったかどうかを確かめられない場合は、心の軌道修正が難しい。

 そうした状態にある人の苦しみを少しでも和らげ、もやもやした気持ちを抱えながらもしなやかに生きることを支援するのが、あいまいな喪失の考え方だ。

 白か黒かの決着をつけず、「棚上げ」をよしとする。前に進めない自分や周囲を責めない。そんなメッセージとも受け取れる。

 災害に限らず、「心の回復」を考える上で示唆に富む。

 あいまいな喪失は、米ミネソタ大学名誉教授のポーリン・ボス博士が提唱した概念である。ベトナム戦争の行方不明兵士の家族の心理療法を通して理論化し、米中枢同時テロの被害者家族の支援も行った。

 喪失は二つのタイプに分けられるといい、一つは「さよならのない別れ」。津波で家族が行方不明になるなど、心の中には存在するが、現実には存在しない状態を指す。

 もう一つは「別れのないさよなら」。災害で変貌した故郷になじめないなど、そのものは存在するのに、心理的に失われたと感じる状態をいう。認知症でその人らしさが失われ、変わることもこれに当たる。

コロナ禍との共通点

 「解決のつかない状態を『あいまいな喪失』と名付けていったん客観視し、苦しみの原因であると意味づけてみる。それを出発点に、揺れ動きながらも喪失との折り合い方を見つけ、歩みだした人もいる」

 東日本大震災後にボス博士に直接学び、被災者の声に耳を傾けている龍谷大学短期大学部の黒川雅代子(かよこ)教授は、こう説明する。

 コロナ禍も、あいまいな喪失の連続といえるだろう。

 大切な人をみとれなかった、仕事を失った、家族や友人と会えなくなった…。日常は一変し、いつ収束するかも分からない。

 昨年、日本の自殺者は11年ぶりに増えた。国の対策が急がれる。

 ボス博士は「料理や音楽など何でもいい。コロナ禍でも好きなことをあきらめず、人生のコントロール感を維持してほしい」と訴える。無力感に押しつぶされないように小さな満足感を積み重ねる。それが他者への共感を育て、心の回復力を高めるという。

 誰もがさまざまな喪失を経験しながら生きてゆく。それぞれの向き合い方があり、前を向くタイミングがある。時間が解決しない悲しみがあることも、心にとどめたい。

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