社説

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 広島はきょう、原爆投下から77年を迎える。9日の長崎と合わせて、数十万人もの命が奪われた。核廃絶は人類共通の宿願である。だがウクライナ危機が長期化し、核兵器使用の懸念も高まる中、「核なき世界」は遠ざかるばかりだ。

 核を巡る国際秩序は厳しい局面を迎えている。2月にウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領は核兵器の使用を示唆した。最大の核保有国による挑発は看過できない。

 米国と中国の覇権争いなど、国家間の対立も続く。国内では、政府が「反撃能力」保有など安全保障政策の転換を図ろうとし、米国との「核共有」や非核三原則見直しの議論を主張する政治家が現れる。平和を守り、核兵器禁止に向けて先頭に立つ。唯一の被爆国の責務を、「原爆の日」に改めて誓いたい。

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 岸田文雄首相は、被爆地選出の首相として初めて、広島の平和記念式典に出席する。核保有国と非保有国との「橋渡し役」を自任する首相への期待は大きい。しかし、日本は安全保障で米国の「核の傘」に依存しており、その役割を果たせているとは到底言い難い。

 6月にウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議に日本は不参加だった。条約は核の開発や保有、使用、威嚇などあらゆる行為を禁じ、66の国・地域が批准する。その輪に日本は加わっていない。

 米国など核保有国への配慮からだが、同様の立場の北大西洋条約機構(NATO)に加盟するドイツなど4カ国はオブザーバー参加した。

 核禁条約は、首相が目指すものとも一致しているはずだ。核廃絶を望む人々の期待を肝に銘じてほしい。

被爆国の決意を示せ

 8月に米国で開幕した、核拡散防止条約(NPT)の運用状況を検証する再検討会議では、日本の首相として初めて出席し、演説した。

 首相は「長崎を最後の被爆地に」と呼び掛けた。核不使用の継続などを訴える「ヒロシマ・アクション・プラン」や、世界の若者を被爆地に招く「ユース非核リーダー基金」の創設、政治リーダーらによる「国際賢人会議」の広島開催などを提言した点は評価できる。

 約190カ国が参加するNPTは、核保有国が「特権」を持ちつつ縮減義務を履行しないため、核軍縮が長らく停滞している状況だ。特に核保有国は、核廃絶を求める世界の声に誠実に向きあう責任がある。

 首相は核廃絶への決意を示す一方で、核禁条約には一言も触れず、国際世論を失望させた。カナダ在住の被爆者サーロー節子さんは「核廃絶を唱えながら、米国の核抑止力に頼る矛盾を説明していない」と批判した。本質を突いた言葉である。

 唯一の被爆国が、条約に背を向けて核廃絶への役割を果たせるのか。核の実相を最も知る被爆者の思いを真摯(しんし)に受け止めるべきだ。

重要性増す体験継承

 被爆地を中心に、この1年も多くの被爆者が鬼籍に入った。

 広島への原爆投下後、放射性物質を含んだ「黒い雨」が降り注いだ。健康被害は広範囲に及び、今も苦痛は消えていない。今年4月から、国の援護区域外で黒い雨を浴びた人たちを救済する新基準が適用された。しかし被爆者健康手帳を申請した人のうち少なくとも29人が認定前に死亡した。国は一刻も早く援護の手を差し伸べてもらいたい。

 全国の被爆者は12万人を切り、平均年齢も85歳近い。過酷な体験と記憶を語り継ぐ活動は重要性を増す。

 昨年10月、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員の坪井直(すなお)さんが亡くなった。現在の広島大に通っていた20歳のとき、爆心地から1・2キロで被爆し、生死の境をさまよった。中学教師時代から「ピカドン先生」と呼ばれ、定年退職後に本格的に被爆者運動に携わった。

 坪井さんの口癖は「ネバーギブアップ」である。後遺症とみられる貧血やがんと闘いながら、「核なき世界」の実現をあきらめなかった。思いを受け継ぎ、自らの言葉で次世代につなぐ。大切なのは、被爆者の体験だけに寄りかからず、何を継承すべきかを自ら考え、国際世論への働きかけを続けていくことだ。

 来年5月には、広島でG7サミット(先進7カ国首脳会議)が開催される。原爆被害の悲惨さを再認識させ、世界の目を被爆地に向けさせる歴史的な機会となる。核廃絶につなげる国際社会の決意も問われる。日本はその先頭に立って声を上げ、「核なき世界」への流れを、より強くしていかなければならない。

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