「新聞感想文コンクール」  

私と正平調の六年間

細尾 瞭(ほそお・あきら) 姫路市立八幡小学校 6年

 一年生の夏休みに連れて行ってもらった映画祭り。会場の文化センターの入口で、「正平調ノート」をもらった。お母さんに「新聞のコラムを貼るノートやで。」と教えてもらった。私は新聞を切りとってノートに貼るという作業が楽しそうで、次の日から早速正平調を切り貼りし始めた。
 ノートは正平調を貼って語句や漢字を調べる欄や、感想を書く欄等があったけれど、一年生の私にはほとんどの漢字が読めず、文章も難しくて理解できなかった。私はわからない語句や漢字ではなく、習った漢字を見つけて書いていく事にした。最初は「一」や「大」等一文字か二文字、一文字も見つけられない日もあった。でも二年生になると、二十文字程の漢字を見つけられるようになった。三年生になると、習った漢字は欄に入りきらない程になった。四年生になった時、はじめてわからない語句や読み方が分からない漢字を書き抜いて、辞書で調べるようになった。文章の内容もいつの間にか、少しずつ理解出来るようになっていた。
 私は正平調を読む事で、色々な出来事や情報、言葉や人物に触れた。文章がわかるようになると新聞はおもしろくて、他の色々な記事を読んだ。私は感動したり発見したり興奮したり、記事を読んで感じた様々な思いを家族と話したりした。
 一学期の終業式の前日、ある記事に目が留まった。日野原重明さんが亡くなった事を伝える記事だった。私は国語の教科書で読んだ「君たちに伝えたいこと」という文章を書かれた先生だとすぐに気が付いた。先生は命とは使える時間だとし、寿命という大きな空っぽのうつわの中に、精いっぱい生きた一瞬一瞬をつめこんでいくイメージだと書かれていた。私は記事を読んで、先生は医師という、常に命と向き合う職業からだけではなく、結核にかかった自らの闘病体験や、多くの人が亡くなるのを見送ることしかできなかった戦争での体験、飛行機のハイジャック事件での死を覚悟した体験を通して、だからこそより一層命の大切さ、尊さを知り、その言葉は私の胸に響いたのだと分かった。
 私が初めてもらった正平調ノートの表紙の裏には「正平調」の由来について書かれている。清朝の「清平調」という詩の話から始まって、最後に、これはいわば神戸新聞からの朝のメッセージですとくくられている。そしてその一ページ目、私が一年生の朝初めて新聞を切りとってノートに貼ったのは、二〇一二年八月六日月曜日、広島原爆の日の正平調だ。その時漢字も読めず、難しくて意味も読みとれなかったページを、六年生になった私は読みかえしてみる。物理学者シラードが交差点で信号が変わる間に原子爆弾のアイデアを思いついたというエピソード。今の私は原爆の怖ろしさを知り平和の大切さも知っている。平和を守るためには自らが行動しなければいけない事も。私という命の容器を満たしていくもの。そのたくさんの中に正平調からのメッセージも、キラキラと輝いている。


(7月19・20日付の神戸新聞、7月27日の読売KODOMO新聞から)
「私と正平調の六年間」「私と正平調の六年間」

 

※作品の題名をクリックすると神戸新聞社賞と県知事賞の作品を読むことができます。

神戸松蔭女子学院大学 秋田 久子教授 講評 「私の記事」は生きた教材  
部門 受賞者(敬称略)
学校名・学年
作品の題名
神戸新聞社賞 小学校 1・2年 吉森 灯
神戸市立雲中小学校・2年
「きたのを歩いて」
小学校 3・4年 小柳 朝陽
神戸市立井吹の丘小学校・4年
「給食のアイドル」
小学校 5・6年 山本 柚葉
三木市立緑が丘小学校・6年
「三十一センチの髪の毛、つながる絆」
中学 成川 央庸
神戸大学附属中等教育学校・3年
「障害を見つめ直す」
高校 林 那帆
兵庫県播磨高等学校・1年
「高齢者を大切に」
兵庫県知事賞 小学校 1・2年 宇根 良翔
洲本市立洲本第三小学校・1年
「ぼくのつうがくろ」
小学校3・4年 永野 友愛
神戸市立舞多聞小学校・4年
「広まれ!AED」
小学校5・6年 細尾 瞭
姫路市立八幡小学校・6年
「私と正平調の六年間」
中学 納田 彩香
賢明女子学院中学校1年
「高齢ドライバー」
高校 須賀原 翔
灘高等学校・1年
「あの日」

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