「新聞感想文コンクール」  

あの日

須賀原 翔(すがはら・しょう) 灘高等学校 1年

 八月四日毎日新聞の朝刊、「広島原爆の日登校日中止」の記事が目にとまった。広島市の小中学校で実施されてきた八月六日広島原爆の日の登校日が今年は取りやめになるというのだ。経緯としては、地方分権の一環で市立校教員の給与負担が県から市へ移され、教員にも市条例が適用されるようになったが、広島市の条例では八月六日を家庭で慰霊や平和を考える日として市教員の休日としている。これについて文科省が「登校日のために勤務は命じられない」と見解を示したため登校日中止の運びとなった。僕は長崎市の出身である。小学校の六年間八月九日の長崎原爆の日は毎年学校で過ごしてきた。長崎の子どもにとって原爆の日の登校は当然のことで、同級生の大半が出席し久しぶりに会う友人達と夏休みの体験や宿題の進捗状況を語り合う場でもあった。原爆投下の十一時二分、サイレンに合わせて黙祷し被爆体験講話を聞きながら、あの日もこんなに暑かったのかなどと遠い過去の想像を膨らませたものである。
 神戸の中学校に進学し、登校日が無いことを知ったときには本当に驚いたものだ。広島や長崎の原爆の日の正答率が全国平均で三割程度しかないというニュースを耳にし、被爆地とその他の地域の意識に大きな差が存在すると感じた。僕の中で八月九日が原爆の日であるのは、一月一日が元旦であるのと同じくらい当然の事実として根付いていたからだ。
 戦争の爪跡は広島や長崎の原爆だけではない。沖縄地上戦や東京大空襲など、どの地域にも忘れられない「あの日」が存在する。かつてその地でおこった凄惨な事実を語り継いでいく事の意義、それは同じ悲劇を繰り返さないために、自らを戒め後世へ注意喚起していくことにあるだろう。年に一度「あの日」を思い「これから」を考える日を、単に日付の問題とは片付けられないと思う。
 戦後七十二年が経過した現在でも、戦闘やテロの脅威は世界中に拡がっている。日本においても北朝鮮の核やミサイルの開発、領土問題などで緊張は高まりつつある。
 一方で日本の戦争体験者は、高齢化が進み戦争の記憶の風化が懸念されている。祖国を想い、家族の行く末を案じながら戦地へと向かった英霊や犠牲となった無辜の民に思いを馳せることは、平和を考える上で重要だ。また、核兵器のない世界を目指すために被爆国である日本の役割は大きい。よって、小学生のうちから平和について考えられる原爆の日の登校日は有意義と考える。しかし、いつの日か世界中に真の平和が訪れ、その後に、「原爆の日登校日も不要なものとなりついに中止」そんな新聞記事が掲載される日が来ることを願っている。

(8月4日付 毎日新聞から)
「あの日」「あの日」

 

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神戸松蔭女子学院大学 秋田 久子教授 講評 「私の記事」は生きた教材  
部門 受賞者(敬称略)
学校名・学年
作品の題名
神戸新聞社賞 小学校 1・2年 吉森 灯
神戸市立雲中小学校・2年
「きたのを歩いて」
小学校 3・4年 小柳 朝陽
神戸市立井吹の丘小学校・4年
「給食のアイドル」
小学校 5・6年 山本 柚葉
三木市立緑が丘小学校・6年
「三十一センチの髪の毛、つながる絆」
中学 成川 央庸
神戸大学附属中等教育学校・3年
「障害を見つめ直す」
高校 林 那帆
兵庫県播磨高等学校・1年
「高齢者を大切に」
兵庫県知事賞 小学校 1・2年 宇根 良翔
洲本市立洲本第三小学校・1年
「ぼくのつうがくろ」
小学校3・4年 永野 友愛
神戸市立舞多聞小学校・4年
「広まれ!AED」
小学校5・6年 細尾 瞭
姫路市立八幡小学校・6年
「私と正平調の六年間」
中学 納田 彩香
賢明女子学院中学校1年
「高齢ドライバー」
高校 須賀原 翔
灘高等学校・1年
「あの日」

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