公演スケジュール

WAVE 2010 Autumn No.56

「ウェーブ」とは松方ホール友の会が季刊で発行しているニュースのことで、神戸新聞文化財団主催の公演案内や関連情報を掲載しています。
主な掲載情報をご紹介します。



  • キダ・タロー インタビュー
  • ヴァイオリンとの旅 第1回 私の出発(たびだち)
      森 悠子








  • キダ・タロー インタビュー
    「何とかなる」でやってきた

                     

    数々のCMソングや番組テーマ曲の作曲家として活躍、「浪花のモーツァルト」と呼ばれるキダ・タローさんの作品を集めたコンサートが、松方ホールで開かれます。ラジオ・パーソナリティーやタレントとしても親しまれているキダさんですが、神戸市混声合唱団の本格的な演奏で、その音楽の素晴らしさを伝えます。コンサートに寄せる思いなどを語ってもらいました。




    “青春の一部”になればしめたもの

    「有馬兵衛向陽閣」「かに道楽」「日本海みそ」「アホの坂田」「プロポーズ大作戦」…。代表作は、耳にこびりついて離れない印象的な曲ばかりです。作曲の極意は?
     「作品はどれも〝不肖の息子〟ばかりで、実は二度と聞きたくない曲もある。しかし番組が長続きしたり、CMが繰り返し流れてくれたりしたおかげで、多くの人にとってはもはや〝青春の一部〟なんですね。画家の画風は劇的に変わることがあるけど、作曲家の作風はあまり変わらない。そうなると、私のメロディーラインが多くの人の〝青春の一部〟として残っていくわけです」

    大変な作品数ですが
    「他人に調べようがないことは、僕は大げさに言うんです。以前は2000曲と言うとったが、今は1万曲と言うてます。最近は注文が減り、3カ月に1曲くらいですが、以前は1日6曲くらい書いていた。忙しい方が人間、弾みがつくということはありますね」

    自作を集めたコンサートは初めて
    「幕開きの直前、お客さんの入り具合を知る瞬間が最もスリリングですが、少なくとも、うちの嫁はんくらいは来るでしょう。小学4年生のときの通知簿に、〝責任乏しく注意散漫、道楽である〟と書かれた。その通りの性格。いつも〝何とかなる〟と思ってる。あんまり心配性でも、この仕事はできないんです」


    新たなアレンジ楽しみ

    指揮者の井村誠貴さんがアレンジすることについては?
    「非常にうれしい。昔は自分で編曲まで仕上げる主義でしたが、最近は人に任せています。アレンジャーの腕は年々進歩し、曲からいいものを引き出してくれる。期待の気持ちが強いですね」

    「浪花のモーツァルト」と呼ばれるようになったきっかけは?
    「“探偵ナイトスクープ”の中でつけられたという説があるけど、はっきりしない。僕自身はモーツァルトよりショパンが好き。詩的で、どこを聴いても美しく、退屈しないでしょ。あんな曲を書きたい。でもまだ書けてないんです」



    ヴァイオリンとの旅     森 悠子
                     

    第1回 私の出発(たびだち)

    中学生の時チェコのヴァイオリニスト、ヨゼフ・スークの演奏会でサインを貰い、楽屋で私の演奏を聴いていただいた事は心の宝でした。それ以来私の誕生月の9月になると、プラハから船便でスカーフやボーイング(弓の使い方)の指示が書かれた楽譜が一緒に届くようになりました。私にとってチェコ(プラハ)はますます夢の国でした。
     桐朋学園卒業後、齋藤秀雄先生の助手として母校に残り子供教室のオーケストラと広島分室の設立に一生懸命でした。その当時私は、音楽家として何かが足りない、と悩んでいた時期でした。その頃来日していたヴァイオリニストで音楽教育家のジョーゼフ・ギンゴールド先生とチェコのホロニョーヴァ先生に出会い、ヨーロッパに行くことを決めました。2年の休暇を貰い、留学でなく、いっぱいヨーロッパを見ようと出発。齋藤先生はよく、「左手は自分の目で見ることができるし音程を決める指の位置を教えてあげられるが、弓を持つ右手(ボーイング)は、感性なので教えることができない。ヨーロッパで学んでほしい」と仰っていました。
     1970年、26歳の私はエール・フランスでパリに入りました。そして憧れの地、プラハに1年滞在しました。ちょうど、「プラハの春」の頃です。お世話になったのは、作曲家の家系でドヴォルザーク作曲家協会会長をしていたバチカール家でした。彼らは共産圏の質素な暮らしの中にも、毎日使っている食器やグラスは意匠がすばらしく目を見張るものばかり。夏に滞在するスイス・ルガーノの別荘では、亡命したチェコの偉大な指揮者、音楽家たち、数学者や哲学者まであらゆる文化人が訪れました。話題は音楽から哲学まで多岐にわたり、その文化の高さにカルチャーショックを受けたものです。
     1年のプラハ滞在を終え、ギンゴールド先生に紹介していただいていた、ミシェル・オークレール先生のご自宅のドアをノックしました。先生は、19歳の時にロン=ティボー国際コンクールで優勝。その後も数々の国際コンクールで優勝されましたが、左手の故障のため40歳代で現役を引退されパリ音楽院等で教鞭を執られていました。先生の顔を見た途端、なぜか私は「あっ」と思いました。これが運命の出会いとでもいうのでしょうか。 (写真=1972年、ヴィルトォーソ・フランスのリハーサル風景。ソルボンヌ大学の数学室にて。左が筆者)

    森 悠子(もり・ゆうこ) プロフィール
    教育哲学者・森昭の次女として、高槻市に生まれる。6歳より才能教育でヴァイオリンを始め、吉富周吉、山本剛史、東儀祐二、鷲見三郎、齋藤秀雄、マリア・ホロニョヴァ、ミシェル・オークレールの各氏に師事。1977年から10年間、フランス国立新放送管弦楽団(現・フランス国立放送フィル)に在籍。88年から96年、リヨン国立高等音楽院助教授。97年、長岡京室内アンサンブルを設立。99年から2004年、ルーズべルト大学シカゴ芸術大学音楽院教授。09年より、くらしき作陽大学音楽学部特任教授。

     

    wave52  wave53  wave54  wave55

    ページトップへ