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明石城を築いた小笠原忠真について解説する守友隆さん=あかし市民広場
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明石城を築いた小笠原忠真について解説する守友隆さん=あかし市民広場

 2019年に築城400周年を迎える明石城について、築城の経緯や魅力を専門家が解説する講演会がこのほど、兵庫県明石市大明石町1のあかし市民広場(パピオスあかし2階)で開かれた。将軍徳川秀忠の命で築城されたいきさつや、当時の最新の戦闘方法が詰め込まれた城の成り立ちなどの話に、市民ら約170人が聞き入った。

 19年にさまざまな記念事業を計画する県が、市民の機運を高めようと企画した。築城時の明石藩主だった小笠原忠真・初代小倉藩主に詳しい北九州市立自然史・歴史博物館の守友隆学芸員と、明石城の1500分の1のジオラマを制作した「城郭復元マイスター」二宮博志さんが講演。明石公園を管理する県公園緑地課の金原淳一さんが、樹木の伐採計画を説明した。

 明石城について守友さんは「1615年の一国一城令で三木城など全国的に取り壊される中、将軍秀忠の命令で築かれた明石城は、幕府が最重要視していた証し。姫路城、龍野城の本多一族とともに、譜代大名として播磨全体で西国からの防御の役割を担った」とし、小笠原忠真は「大坂夏の陣から島原の乱まで参戦し、実戦経験のある譜代大名としては『最後の戦国大名』と呼べる」と解説した。

 二宮さんは、ジオラマを作る際に分析した史料や現地調査などから「明石港や人丸山なども含めた広大な地域が城の外郭線になっている」と紹介。「史料には土塀が内側に張り出した屏風折れ土塀が確認でき、敵に容易に落ちない城と思わせる心理的効果を狙ったとみられる」とし、「鉄砲を撃つための狭間が7割以上も占めるなど、限りなく戦闘に特化した城を意識したため、あえて天守を作らなかったのではないか」と推測した。

 県公園緑地課の金原さんは、城の魅力と景観向上のため、石垣前の樹木伐採や堀の水質浄化などの計画に理解を求めた。(吉本晃司)

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