明石

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明石海峡大橋を背に、明石をPRする現在のポスター(左)と開通前のポスターを手にする明石観光協会の職員=明石市大蔵海岸通2
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明石海峡大橋を背に、明石をPRする現在のポスター(左)と開通前のポスターを手にする明石観光協会の職員=明石市大蔵海岸通2
明石海峡大橋をデザインに取り入れたグッズ=明石市東仲ノ町
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明石海峡大橋をデザインに取り入れたグッズ=明石市東仲ノ町
1995年6月15日号の広報紙(上)と、同年7月1日号の広報紙
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1995年6月15日号の広報紙(上)と、同年7月1日号の広報紙

 兵庫県の明石海峡大橋は5日、開通20年を迎える。神戸市垂水区と淡路市を結んでいるが、その名に「明石」が入っていることから、まちの知名度アップに果たした役割は大きい。今や、タイ、タコ、玉子焼(明石焼)に並ぶシンボルだ。ただ、観光への明確な効果は出ていない。明石市は今後、外国人観光客をにらみ、世界一のつり橋“AKASHI”の発信を強化していくという。

 大橋開通を3年後に控えた1995年、市は広報紙の題字を変えた。「あかし」の文字に横線だけのデザインに、7月1日号からつり橋を追加した。

 2色刷りへの刷新に合わせ、彫画家の伊藤太一さんに新たなデザインを依頼したという。92年から12年間、市広報広聴課にいた福祉局長の野村信一さん(55)は「それだけ期待が大きかった」と振り返る。

 開通の98年は、阪神・淡路大震災で市の仮設住宅がほぼ解消し、損傷した天文科学館も再オープン。復興の見通しがつき、21世紀に向け「にぎやかで、華々しい雰囲気だった」(野村さん)。広報紙にも大橋の写真が数多く登場した。

 市地域総合支援室長の多田宏明さん(50)は大橋開通前後、商工観光課にいた。94年の異動時は支柱しかなかった大橋が、少しずつ全容を現し始めた。船で建材が運ばれていた記憶が鮮明に残る。海路と陸路で淡路島や四国とつながることになり、岡山を含めた周辺自治体と協議会を組織し、周遊観光の知恵を絞った。

 明石を「海峡交流都市」と銘打ったのもこの頃だ。大橋を取り入れたポスターは市民にも人気で、「写真を自治会の回覧に使いたい」という要望もあった。

 開通当時は、菓子やキーホルダーなど関連グッズが多く誕生。現在も明石観光協会は絵はがきや手拭い、名刺などのグッズを販売する。同協会専務理事の樫原一法さん(48)は「東京など遠方のイベントでの知名度は、大橋と玉子焼が圧倒的」と話す。

     ◇

 一方、観光への明確な効果は出ていないのが現状だ。明石市の観光客は開通の98年度が619万人でピーク。市は開通直前、神戸側と絶景を競うように人工海浜「大蔵海岸」を整備した。当時は「橋ができれば人も動く」と期待されたが、景気の低迷に加え、歩道橋事故(2001年7月)や砂浜陥没事故(同年12月)も重なって観光客は右肩下がりに。

 明石淡路フェリー(愛称・たこフェリー)の航路が廃止された影響もあり、市や観光関係者のもくろみ通りにはならなかった。

     ◇

 近年は、逆境をはね返そうとする動きが顕著だ。

 明石海峡大橋の全景を真横から見られるのが明石の特長。この「眺望力」や、初日の出と大橋が一緒に見られるスポットのアピールなど発信力を強めた結果、観光客は最低だった02年度の459万人から16年度の501万人と回復傾向にある。

 長年、砂利揚げ場の移転が課題だった明石港の東外港地区では、絶好の眺望を生かした再開発計画が浮上している。市は「まだ大橋の眺望や知名度を生かし切れていない。今後はインバウンド(訪日客)を明石に引き込むPR策を強化したい」としている。(藤井伸哉)

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