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母の追悼集を作った広田令子さん=神戸新聞明石総局
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母の追悼集を作った広田令子さん=神戸新聞明石総局
畑中律子さん(広田さん提供)
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畑中律子さん(広田さん提供)

 神戸新聞の文芸欄に長年投稿していた女性が昨年3月、93歳で亡くなった。一周忌が終わり、娘が遺品を整理していると、茶色にくすんだ新聞の束がごそっと押し入れから出てきた。母の文章が載った新聞だった。全て、母が生きた証しに思えた。それで娘は-。

 神戸市灘区で暮らしていた畑中律子さんは大正13(1924)年生まれ。

 夫に先立たれ、「何か生活の張りに」と始めたのが神戸新聞への投稿だった。60代の半ば頃だ。

 「もともと文章が好きだったし、時間もできたし」と話していたそうだ。

 俳句教室にも通い始め、家族とのふれあいや趣味、季節の変化を俳句や詩にしては、毎月投稿した。

 そんな生活が20年ほど続いた。だが、80歳を過ぎた頃から、やらなくなった。

 「なんで?」。娘の広田令子さん(71)=兵庫県明石市=が聞くと、ただ笑っていた。

 少しずつ、老いが忍び寄っていた。一緒に銭湯に行くと、下着と上着を着る順番が分からないときもあった。

 88歳、米寿の誕生日。衰えの目立ち始めた母を励ます方法はないだろうか。

 令子さんは思い立った。新聞に載った文章や俳句を集めて母の「作品集」を作ろう。

 覚えたてのパソコンで母の文章をなぞった。

 2012年夏。完成した冊子をプレゼントした。

 「へぇ~、こんなすごいの誰が作ったん」「私よ、私」「本職みたいやねぇ」。満面の笑みを見せてくれた。

 母の新聞投稿は、これが全部だと思っていた。

     ◆

 阪神・淡路大震災で、律子さんが住んでいた神戸市灘区のアパートは半壊。立ち退きを求められたが、補修で住み続けた。

 令子さんの介護を受け、1人暮らしを続けた。

 昨年3月。「危ないかも」。そんな知らせを受け、入院していた病院に3世代10人以上が集まった。

 「眠たい」。そう言って目を閉じた。みんなに見守られ、静かに息を引き取った。

 一周忌が終わり、遺品整理をしていた令子さんは、押し入れの奥から新聞の束を見つけた。

 6年前にまとめた作品集に掲載した文章より古い投稿だった。片付けを忘れ、読みふけった。

 まだ元気いっぱいで、あちこち走り回っていた母。息遣いが伝わるようだった。今度は母の追悼集を作ろうと決めた。

 一番、心に染みたのは「おでんなべ」。母の感情と言葉のリズムに寄り添って、一文字一文字、刻むようにキーを打った。

 父の笑顔。家族の会話。おでんの香りや味までが映画のようによみがえり、泣けてきた。

 4月。「母へ!!」と題した冊子ができあがった。

 30部だけ作り、懐かしい人に手渡した。今、穏やかな気持ちで母と向き合える。

 お母さん、ありがとう。(木村信行)

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