明石

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慰霊碑の前で手を合わせる市民=21日午後6時52分、明石市大蔵海岸通1(撮影・中西大二)
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慰霊碑の前で手を合わせる市民=21日午後6時52分、明石市大蔵海岸通1(撮影・中西大二)
追悼の歌を歌う市民ら=21日午後8時49分(撮影・中西大二)
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追悼の歌を歌う市民ら=21日午後8時49分(撮影・中西大二)

 2001年の明石歩道橋事故から17年となった21日夜、事故が起きた歩道橋(兵庫県明石市大蔵海岸通1)では、犠牲となった11人を遺族や市民が悼んだ。楽しかった花火大会が暗転したあの日を振り返り、再発防止を誓った。

 事故が起きた午後8時45分ごろ、慰霊碑「想の像」の前には次女の優衣菜さん=当時(8)=を亡くした姫路市の三木清さん(49)ら3遺族が並び、静かに手を合わせた。

 三木さんは「優衣菜が好きだった庭のヒマワリを今年も持ってきた。つらい場所だが会いに来た」と花を手向けた。

 75歳だった母を亡くした中村浩三さん(71)=神戸市西区=は毎月命日、現場に足を運ぶ。「目に入れても痛くないぐらいかわいがってくれた。母の年齢に近づき、『あんたより長生きするで』と伝えに来た」と語った。

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 尼崎JR脱線事故で長女=当時(40)=を亡くした藤崎光子さん(78)=大阪市城東区=も姿を見せた。

 「一緒に泣いたり笑ったりできるのは、遺族同士しかない」と歩道橋事故の遺族に励まされ、脱線事故の遺族会設立を支援してもらったという。「どちらの事故も予兆があり、組織上の不備があった。事故が二度と起きないよう訴え続けると誓いました」と話した。

 事故当日、花火大会に来ていた介護職員の男性(44)は=明石市=は、すし詰めになった人でごった返す歩道橋から悲鳴が上がるのを聞いた。

 「別のルートで帰宅したが、報道で多くの人が亡くなったと知り、がく然とした」と振り返る。

 現在は中2、小5の2児の父。「子どもを亡くされた方もいた。同じ親として涙が出る。せめてもの弔いで毎年この日、追悼に来ている」と話した。

 家族4人で海水浴に来た神戸市の男性会社員(38)は、献花台の花束を見て事故の日だと知った。

 「歴史の出来事のように感じていた。この17年で家族ができ、犠牲者や遺族のつらさが想像できるようになった」と話し、妻や2人の子と手を合わせた。

 午後8時半、慰霊碑の前には有志による市民合唱団「きらぼし」のメンバー十数人が集まり、追悼の思いを込めオリジナルソング「さよならの花火」を歌った。

 市幹部6人と献花した泉房穂市長は「行政として防げた事故。17年たったが、風化させず安全への責任を果たし続けなければならない」と語った。(勝浦美香、藤井伸哉)

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