明石

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 467人--。監督の狭間善徳(54)が明石商野球部で教えた部員の総数(現役含む)だ。背番号を付けてベンチ入りできる確率は、単純計算でおよそ6分の1。残り6分の5、つまり多くの部員は夏の決戦をスタンドで見守るしかなかった。

 初の栄冠をつかみ取った明石商の「6分の5」の側から、夏にかける思いをつづる。

    ■   ■

 センバツの時が一番輝いていた--。

 阪神電鉄に勤める会社員於田将輝(19)=兵庫県明石市=は2年前にベンチ入りした喜びを、今もはっきりと覚えている。

 於田たちの新チームが発足して半年、いくら練習しても手応えがなかった。無理をして肩を故障し、送球もできない。迷路の中にいたとき、チャンスを与えられた。

 「やっぱり監督さんは自分を見ていてくれたんや」

 2016年春の選抜高校野球で背番号「17」を付け、甲子園を行進した。グラウンドから見上げる銀傘はとてつもなく大きかった。勢いに乗ったチームはベスト8まで進んだ。

 「夏も甲子園のグラウンドに」

 しかし、於田はセンバツの1カ月後、再び1班から漏れた。夏の大会まで残り2カ月ほどしかない。

 「何とかしたい」。焦りが次第に「しんどい」に変わっていく。1班に入れないまま、6月の“引退試合”を迎えた。

 於田は魚住小時代からソフトボールで才能を開花させた。魚住中学では軟式野球部に入り、2年生からクリーンアップを担った。3年生になると「頼れる4番」としてチームを県大会に導く。背番号は常に1ケタだった。

 「チームも自分も負けた記憶はあまりなかった」

 明商で甲子園に出る--。目標は手に届くはずだった。

 1年生の夏休み。3年生が抜けた新チームで4番打者に抜てきされた。わずか2~3試合だったが、入部半年で1班の「空気」に触れたことでさらに大きな自信をつかんだ。

 「このチームの中で一番練習する人は」。外部の人に問われると、部員の誰もが2人の名を挙げた。そのうち1人はいつも於田だった。

 午前7時から朝練を約1時間、放課後は約5時間の全体練習が終われば1~2時間の「残練」。於田はいつも、監督が居る本部小屋からすぐ目に入る場所で練習した。ほかの部員も「定位置」と認めた。

 於田は帰宅後、大久保町にあるバッティングセンターでひたすらバットを振った。

 「うまくなりたければ練習するしかない。つらいとか、しんどいとか思ったことさえなかった」

 猛練習で培った自信が、1班から漏れたことで大きく揺らいだ。

 3年生の於田が1班に入れないまま迎えた“引退試合”。スタメン出場し、最後の打席は、右中間へ鋭いツーベースヒット。「とにかく調子がよかった。もしかしたら(1班に)返り咲けるかもしれへん」

 だが翌日、白板上の於田のマグネットは動かなかった。

 1班のサポート練習に向かう足取りは重かった。外野の守備で雑談する。バッティング練習のボールかごが空になっても、コーチに言われるまで動こうとしなかった。

 最後の県大会が始まっても、切れた気持ちは戻らない。スタンドで応援に汗を流す仲間を冷めた目で見ていた。ただ、チームが甲子園に行けば、何かが変わるような気がした。

 3年連続で散った決勝の記憶はあまりない。「勝てる試合だったのに」と苦さだけが残った。

 「野球はやり切った」と就職を選んだ於田。母校には卒業後、1度差し入れに行っただけだ。今夏の大会にはまだ足を運んでいない。

 7月27日、西兵庫大会決勝の日。於田の携帯電話が鳴った。

 「優勝した。甲子園や!」

 スタンドで真っ黒になって応援する後輩たちの姿が目に浮かぶ。

 あいつらは報われたな。そう思うと胸のつかえが少しだけ取れた。

 「甲子園のスタンドへ応援しに行ってみるか」。久しぶりにそんなことを思い始めていた。

=敬称略=

(小西隆久)

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