明石

時計2018/10/3 05:30神戸新聞NEXT

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映画の配給と上映の“二足のわらじ”を履いていた岡本さん。「めったに家にいなかった」と妻(2015年6月撮影)
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映画の配給と上映の“二足のわらじ”を履いていた岡本さん。「めったに家にいなかった」と妻(2015年6月撮影)

■僕の生きざまを記録してほしい

 「どうも、お久しぶり」

 いつもの飄々とした雰囲気を漂わせて、岡本健一郎さん(67)が神戸新聞明石総局のくすんだビルを訪ねてくれたのは8月の初めだった。

 トレードマークのロマンスグレーの美しい頭髪と額の間から、大粒の汗が噴き出している。

 一見して「痩せたな」と思った。だが、社交辞令で「お元気そうで」と伝えると、「とんでもない。肺がんになっちゃって。3カ月で10キロも痩せてね」と、春からの健康の急変を説明してくれた。

 岡本さんとは、私が記者1年目、初任地で勤務した明石で知り合った。

 その頃、岡本さんは自ら立ち上げた「明石映画サークル」の代表で、上映会があるたびに宣伝で明石総局に立ち寄っていた。

 まだ40代前半。傍目にも忙しそうに飛び回っている人だった。

 「兵庫県映画センター」の社長として、県内で催される映画会に良質な映画を配給する一方、明石映画サークルの代表として市民団体や学校、職場などが催す自主上映会を成功させ、映画ファンの裾野を広げる地道な活動を続けていた。

 全国に誕生し始めた映画サークルの設立支援や組織のてこ入れにも力を尽くした。

 自称「映画バカ」。それは23年たった今も変わらなかった。

     ■

 肺がんは「ステージ4」と告知されていた。

 がんの症状は4段階に区分けされる。最も深刻な状態だった。

 「でも、だいぶん良くなってきたんですよ。ほら、こうして出歩けるぐらいに。がんは昔ほど不治の病ではないし、化学療法で上手に抑えて、もうちょっとがんばりたいね」

 強気と弱気が五分五分といった表情で、再会を約束した。

 明石映画サークルは「明石シネマクラブ」と名前を変え、今年は発足から50年の節目の年だった。伺いたいことは山ほどあった。手帳を見た。早めに予定を入れようと思った。

     ■

 9月20日、知人から「岡本さんがホスピスに入院した。あまり時間がないようだ」と聞いた。

 脳に腫瘍が見つかり、治療をあきらめたという。「お別れに来てほしい」と友人にメールを送り始めたらしい、とのことだった。

 25日夕方、山電西新町駅にほど近いふくやま病院の緩和ケア病棟を訪ねた。

 明るい病室の奥に、やせ細った身体をベッドに横たえた岡本さんがいた。

 目に力がある。声にも張りがある。少しだけ安心した。すでに100人を超える人が「最期のお別れ」に訪れたという。

 約束していた取材がある。どうすればいいのか分からないまま、この場に来たが、目の力に気圧されたのかもしれない。

 「取材、続けましょうか」と聞いた。

 「好きなように書いてくれたらいい。何を聞いてくれてもいい。僕の生きざまを記録してほしい」

 岡本さんは言った。

(木村信行)

   ◇   ◇

 岡本健一郎さんは9月30日午後2時39分、大勢の家族に見守られ、ふくやま病院で亡くなりました。この記事(計4回)が書き上がった30分後、訃報が届きました。元気なうちに読んでもらうことを目標に準備をしてきましたが、間に合いませんでした。亡くなったことを受け、書き直すことも考えましたが、生きている岡本さんに向かって書いた記事であり、そのまま掲載することにしました。

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