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時計2018/10/4 05:30神戸新聞NEXT

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映画界のスターたちとの記念写真。岡本さんの50年間が詰まっている
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映画界のスターたちとの記念写真。岡本さんの50年間が詰まっている

■自分のため流せる涙が残ってた

 山電西新町駅のそばにある「ふくやま病院」は2017年、緩和ケア病棟を開設した。

 その415号室。

 岡本健一郎さん(67)の病室の白い壁には、交友の広さを伺わせる「ツーショット写真」が51枚、貼られていた。

 吉永小百合さん、山田洋次さん、役所広司さん、渡辺謙さん…。

 故人もいる。渥美清さん、淀川長治さん、三国連太郎さん、高畑勲さん…。

 名だたる俳優や映画監督の隣に、少し困ったような顔の岡本さんが立っている。岡本さんが手掛けた上映会や講演会の際に撮ったものだ。

 「まるで大スターに見守られているみたいでしょう」と妻の米子さん(67)。アルバムから選び、ずらりと壁に貼ったら、病室が映画祭のように華やかになった。

   ◇

 岡本さんが体の異変を感じたのは今年1月だった。

 ゴホッ、ゴホッと変な咳が出始めた。「病院に行って」と懇願する妻の言葉を「まあ、風邪だろ」といつものように受け流した。

 4月、打ち合わせのため、東京のスタジオジブリを訪ねた。毎年恒例の「イカナゴのくぎ煮」を届ける目的もあった。

 その帰路、血痰を吐いた。受診した病院で肺がんを宣告された。

 梅雨から初夏へ。治験が終わったばかりの新薬を使った免疫療法が効いた。

 8月には、外出して孫と焼き肉が食べられるまで回復した。神戸新聞明石総局を訪ねてくれたのも、この頃だ。

 だが、めまいと吐き気が始まる。医者は問題視しなかったが、別の病院で磁気共鳴画像装置(MRI)を受けた。前頭葉に直径2センチ、小脳に4センチ、さらに米粒ぐらいの腫瘍がたくさん見つかった。もう、治療法はなかった。

   ◇

 9月12日。緩和ケア病棟に移り、最初にしたのが、友人への一斉メールだった。

 《4月に肺がんと診断され闘病しておりましたが、脳に腫瘍ができ、ポーアイで放射線を当てるも退治できず、治療断念に追い込まれました。お別れに来てください。なお見舞いに伴う金品は辞退しております》

 岡本さんらしい、簡潔な文面だった。いくばくか知れない命と知らせ、会いたいと伝える。どんな心境か、想像もできない。

 「気持ち? 別にどうってことない、って言えたら格好いいけど、やっぱり涙が出たね。誰にも見られていないけど、涙が出た。ああ、俺にも自分のために流せる涙が残っていたのかと。それが何よりうれしかった」

 淡々と話していた岡本さんの目尻がにじんだ。

 担当医は「余命はあと3カ月から1カ月だろう」と告げていた。だが、脳に転移したがんは大事な神経を圧迫し、瞬く間に意識を混濁させる。

 私の父がそうだった。取材で世話になった大事な知人も同じ運命をたどった。

 岡本さんは生と死の境界にいる。

 一つ、二つ、三つ……。砂時計の残りの砂粒を数えながら、次々に訪れる見舞客と向き合っていた。

 大森一樹監督から10月2日に見舞いの約束が入った。「それまでは、生きんとね」。それだけ言うと、また目を閉じた。

(木村信行)

   ◇   ◇

 岡本健一郎さんは9月30日午後2時39分、大勢の家族に見守られ、ふくやま病院で亡くなりました。この記事(計4回)が書き上がった30分後、訃報が届きました。元気なうちに読んでもらうことを目標に準備をしてきましたが、間に合いませんでした。亡くなったことを受け、書き直すことも考えましたが、生きている岡本さんに向かって書いた記事であり、そのまま掲載することにしました。

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