明石

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太平洋戦争・明石市被爆犠牲者無縁之慰霊塔=大聖寺
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太平洋戦争・明石市被爆犠牲者無縁之慰霊塔=大聖寺
太平洋戦争で焼け残った雲晴寺の山門=明石市人丸町
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太平洋戦争で焼け残った雲晴寺の山門=明石市人丸町
明石空襲の碑=明石公園
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明石空襲の碑=明石公園
神戸新聞NEXT
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1日のピースウォークでガイドを務める牧野満徳さん=明石市東仲ノ町
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1日のピースウォークでガイドを務める牧野満徳さん=明石市東仲ノ町

 兵庫県明石市内の戦争遺物を訪ね歩く「ピースウォーク明石」が、主催メンバーや戦争体験者の高齢化などにより、10回目となる6月1日でいったん終えることになった。再開は未定だが、主催する市民団体「ピースネット明石」が参加者を募っている。

 ピースウォーク明石は、太平洋戦争の空襲被害が激しかった明石の戦跡を歩き、反戦や平和への思いを新たにする催しとして2010年に始まった。

 市内に大きな空襲被害があった1945年6月に合わせて毎年6月1日前後に開催してきた。空襲の標的とされた旧川崎航空機工場(現川崎重工明石工場)の周辺や、魚住、二見なども歩いた。

 今年は明石公園、天文町、人丸町、上ノ丸周辺を歩く。川崎航空機への学徒動員で亡くなった学生の慰霊碑がある大聖寺(上ノ丸1)、戦時中の金属不足で鐘を供出した本松寺(同)、空襲で焼け残った山門が今も残る雲晴寺(人丸町)、空襲の碑がある明石公園などを巡り、柿本神社や月照寺、天文科学館にも立ち寄る。

 午前9時40分に明石駅コンコースのたぬき像前に集合。同10時に出発し、約2時間弱歩く。小雨決行。参加無料。帽子、タオル、水筒などは各自用意する。ピースネット明石TEL078・912・2797

(吉本晃司)

【ガイドを務めるボランティア 牧野満徳さん】

 会社を定年退職後、ボランティアで明石市の観光ガイドになった。ピースウォークは初回からガイド役を務め、最後になるかもしれない1日も10カ所を案内する。

 明石に空襲が相次いだ1945年は、国民学校に入る前の5歳だった。

 市の記録によると市内にはその年、計6回の空襲があった。1回目の1月19日は、関西では初の本格的な空襲だった。川崎航空機工場が標的になり、勤労動員されていた若者ら327人が犠牲になった。

 最後の空襲となる7月28日まで、米軍のB29戦略爆撃機など計270機が飛来し、兵器工場や住宅地、明石公園に焼夷弾や四千ポンド爆弾をばらまいた。

 市内だけで1496人が死亡し、64人が行方不明になった。市街地のほとんどが焼け野原になった。

 幼かったこともあり、当時は詳しいことが何も分からなかった。だが、記憶は残っている。

 旧明石中(現明石高)近くにあった自宅の辺りに爆弾が落ちると、爆風でガラスが割れたり天井板がずれたりした。

 空襲の後、裏山に行くと、木々は焼け落ちて山は丸裸になっていた。なぜか一本だけ残った松が、まっすぐに立っている姿を鮮明に覚えている。

 「なんでこんなに怖い戦争するの」。大人に聞くと、「そんなことは聞くな」と言われた。

 子ども心に「戦争はいやだ」と思った。

 戦後の民主主義教育を受け、会社員に。転勤で全国を回り、その地の歴史や風土を知った。地元の明石については定年後、仲間のボランティアとの情報交換などで勉強した。

 「戦争がらみの話をするとすぐ時間がたつから、2時間でそれほど多くは回れない。まだ行けてないところもあるし、明石公園だけで1回の企画ができるほど、知ってほしい場所がある」と意欲は衰えない。

 「国や市町村、学校、どこでもいいが、誰かが語り継いで、戦争のない世の中にしてほしい。体験者が減って、戦争を伝える機会が減っているが、人間の悪い歴史は忘れちゃいかん」

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