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鬼籍に入る戦友が多くなった20年ほど前から、伊原は平和の尊さを講演で訴えている=明石市大久保町大窪
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鬼籍に入る戦友が多くなった20年ほど前から、伊原は平和の尊さを講演で訴えている=明石市大久保町大窪
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 終戦から8年、26歳になった伊原昭(92)=兵庫県明石市=は結婚した。妻の実家が営む明石瓦の製造、販売に携わっていた。

 季節は覚えていない。県庁に用事があり、国鉄明石駅のホームにいた。数メートル先に見覚えのある初老の男性がいた。伊原はとっさに駆け寄った。

 「校長先生、お久しぶりです」

 10年前、旧制豊岡中の講堂で、戦地という「殺し合いの場」へ、大号令をかけた張本人だ。

 「もしや、豊岡で予科練に行った方ではありませんか」

 校長は、じーっと伊原の顔を見つめた。絞り出すような声だったと記憶している。泣き出しそうとも、苦しそうともとれる表情で、「あのときはすまなかった」と、深々と頭を下げた。

 「軍の強制だったとか、言い訳の一つもされませんでした。校長先生も、教育者として子どもを戦地に送り出した重い十字架を背負っとるんだなと。ただただ懐かしいだけで、恨みは全然ありませんでしたな」

 思いがけない再会は、電車到着までの数分程度。

 校長と会ったのはそれっきりだ。

   ■    ■

 多弁を自称する伊原だが、戦地での経験を家族らに話すことはなかった。

 「戦争のことはとにかく忘れたかった。思い出すのも嫌だった」

 だが、トラウマは消えない。1カ月に1回は必ず夢にうなされた。具体的な内容は覚えていない。

 妻に「大丈夫ですか」と声をかけられ、飛び起きる日々が何十年も続いた。

 ただ、同期の戦友には話す気になった。極限の日々を共有したからだろうか。戦後10年ぐらいから、定期的に各地で集まるようになり、思い出話に花を咲かせた。

 「戦友は特別ですわ。ただ、70歳過ぎた頃から、鬼籍に入るもんが多くなりましてな。急に戦争の悲惨さを誰かに伝えにゃならんと思いまして。ぽつぽつと講演を引き受けるようになりました」

 気がつくと、夢でうなされる回数は減っていた。

 全国の予科練に入った同期「甲飛第13期」は約2万8千人。1005人が戦地に散った。

 戦時中は、国が国民を監視し、情報を統制し、「大東亜共栄圏」の名の下に兵隊が派遣された。

 犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」、防衛や外交などの情報を「特定秘密」に指定する特定秘密保護法、集団的自衛権の行使を認める安全保障関連法の成立……。北方領土で酔っ払い、「戦争をしないと、どうしようもなくないですか」と元島民にからむ衆院議員もいた。

 空気が変わってきた、と伊原は感じる。自分が抗えなかった大きな流れの水脈が、じわりと足元に広がってきたのではないか。

 「軍隊は国民を守らなならんのに、太平洋戦争では『1億玉砕』と国民を皆殺しにしようとした。近隣諸国もひどい目に遭わせた」

 「最近は外交がぎくしゃくしとりますが、ミサイル防衛に何千億円もの金を使うなら、友好親善や経済協力に使った方がええ」

   ■    ■

 第2次世界大戦では軍人、民間人を合わせ5千万人以上が犠牲になったとされる。人間が殺し合った結果だ。

 妻子を心配し戦地に散った父、乳児を抱いたまま空襲で死んだ母、自慢の息子を奪われた老夫婦……。

 戦中、戦後、どれだけの悲しみが続いただろう。想像すらできない。

 伊原はそんな悲しみがもう起きないように、講演活動を続けている。

 「17、18歳で逝った同期の戦友に、戦後の日本が平和だったこと、そしてこれから誰一人として戦争で死なせないことを、あの世で報告したいと思っとります。何があっても、戦争ができる国にしちゃならん。それが使命ですな」

 長い取材が終わりに近づいている。私は最後の質問を投げかけた。

 「もし76年前に戻ってしまったら、伊原さんは再び、予科練に志願しますか」

 ほとんどの質問にすぐに返答してきた伊原が押し黙った。少し表情がこわばったように見えた。

 大きく息を吐き、いつもの温和な顔に戻った。

 「大勢の流れに逆らうことは、そらあしんどいことでしょう。でも、断固として反対せにゃあなりませんわな。あのとき勇気を出せんかったことで、どんだけようさんの人がひどい目にあったか、ワシは知っとるんですから」(敬称略)

(藤井伸哉)

=おわり=

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