明石

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娘2人と談笑する福本ゆきさん=明石市
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娘2人と談笑する福本ゆきさん=明石市
(左)市制施行を祝ってかかげられたアーチ(右)爆撃を受ける川崎航空機明石工場(いずれも明石市提供)
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(左)市制施行を祝ってかかげられたアーチ(右)爆撃を受ける川崎航空機明石工場(いずれも明石市提供)
阪神・淡路大震災で石垣が崩れた明石城(明石市提供)
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阪神・淡路大震災で石垣が崩れた明石城(明石市提供)
明石海峡大橋が完成し、開かれた「明石海峡まつり」(1998年)(明石市提供)
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明石海峡大橋が完成し、開かれた「明石海峡まつり」(1998年)(明石市提供)
神戸新聞NEXT
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 兵庫県明石市はきょう1日、100歳の誕生日。大正、昭和、平成、令和へと続く時代を“同級生”として一緒に歩んできた福本ゆきさん(99)=明石市=に尋ねました。どんな100年でしたか--。(この記事も原稿用紙でぴったり100行にしてみました。小西隆久)

 1919(大正8)年11月、明石郡明石町が明石市に。県内4番目の市で、人口は3万2千人、市域は7・8平方キロ。

 漁師の家に生まれましてね。父親は毎朝、ええ魚を市場に売りに行きます。小魚やらはうちのおかずにするんですわ。そら、よう食べましたで。それが、入れ歯一つない歯と丈夫な骨を作ってくれたんです。来年1月で100歳ですわ。ハッハッハッ!

 子どもの頃の楽しみでっか。そら、おにぎりを持って船でするお月見です。ほんまに風流でしたよ。

 大正から昭和へ。戦争が始まり、1945年には計6回の空襲を受けた。

 72歳で亡くなったお父さん(才二さん)と結婚したんは昭和15年ごろ。長男は出征してから産まれたんよ。空襲はブルンブルンちゅうてB29の爆音がおなかに響いて怖かった。

 7月に淡路島に疎開して、明石の空が西から真っ赤になるんを対岸で見てた。

 船で港に着くと焼け野原。明石城の櫓が目の前に見えてびっくり。アメリカと戦争するなんて、貧乏人と金持ちがけんかするようなもん。勝てやしません。

 時代は高度経済成長期。東京五輪の聖火ランナーが明石を通過し、1972年には新幹線が開通、西明石駅が開業した。

 その頃は町工場や競輪場の売店やら、よう働きました。工場で長いことねじ作ってたから、指も曲がりしまへんねん。競輪場に通ってたときは明石公園の桜トンネルがきれいやった。野球は分かれへんけど巨人は好きやで。明石球場にようキャンプ来てたやろ。

 お父さんはがんが見つかって3カ月で亡くなった。つらかったやろうに、ほんま我慢強い人やった。

 時代は平成へ。1995年1月、阪神・淡路大震災が発生。明石市も9614棟が全半壊した。

 お父さんが亡くなって1人になってから、ペタンクや旅行するようになってね。70歳で初めて新幹線に乗って九州やら北海道やら。

 地震では、ぽーんと体が跳ねるようにして起こされて、びっくりして浜まで逃げた。みんなでたき火囲んで余震を数えてましたわ。1カ月くらい、三木の息子の家で暮らしました。

 いよいよ令和に。この前年、明石市は念願の中核市に移行する。

 最近は週2回、デイサービスに行くんが楽しゅうてね。「3回にオマケしてえな」って頼んだけどあかんかったわ。昔は魚やったけど、最近はローストビーフが好きなんよ。肉は70(歳)過ぎて食べるもんやね。

 中核市? よう分からん。明石市は子どものことえらい頑張ってるみたいやね。それは大事や。

 そしたら年寄りにも、もうちいと、ええことしてほしいわ。ハッハッハッ!

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