明石

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彫画の原点は回転式の刃だった
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彫画の原点は回転式の刃だった

 ペンで描くイラストと、ナイフで描く彫画。手法の違いは絵の風合いを変える。なのに、彫画家伊藤太一さん(84)は、どちらの絵もあったかい。

 生活の営みと積み重ねた歴史を感じさせる町の風景。絵の最前に描かれるおかっぱの女の子。フリーハンド感が残る造形物。

 これらが安定感のある構図で描かれると、見る人に安心感を与えるのだ。

 この画風には、太一さんの人生が大きな影響を及ぼしている。

 太一さんが生まれたのは1935(昭和10)年8月。神戸市兵庫区の和田岬近く、貨物船が行き交う兵庫運河べりだった。

 港町らしく、実家は祖父母が荷作り用のわら細工などを扱う商店を経営していた。近くには格子窓や漆喰(しっくい)壁のある家、古い社寺がたち並び、路地が太一さんの遊び場だった。

 後の画集には、その古い町並みを〈ふるさとの心の原風景〉と記している。

 「悪いことばっかりしてましたなぁ。大輪田橋から何十メートルの道に、ろう石で落書きをした記憶がありますわ」

 ただ、子どもの頃の記憶は楽しいことばかりではなかった。

 「父母との縁が薄いんです。僕が3歳のとき、父親は出身地の北海道に帰って、母親は小学校6年くらいのときに再婚しました。だから、祖父母に面倒を見てもらったんです。親がいないもんやから、学校ではひどくいじめられましたなぁ」

 生まれて間もない36(昭和11)年に二・二六事件、翌年には日中戦争が始まった。幼少期は、日本が戦時体制に突き進んでいく時代と重なる。

 旧須佐国民学校(現明親小学校)に入学したが、戦局の悪化で44年、祖母の故郷、徳島県石井町に疎開した。太一さんは振り返る。

 「両親がいないもんやから、疎開先でもいじめられました。それはもう、言葉にできないほどつらかった」

 太一さんの絵に現れる着物を着た女の子は、いつも見る人の方を向いてほほ笑んでいる。

 それは、平和と安定を願うまなざしとも読み取れる。

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