明石

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明石領酒造株(酒造株札、個人蔵、明石市提供)
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明石領酒造株(酒造株札、個人蔵、明石市提供)
大宝恵(個人蔵、明石市提供)
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大宝恵(個人蔵、明石市提供)
酒差し越し依頼につき書状(個人蔵、明石市提供)
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酒差し越し依頼につき書状(個人蔵、明石市提供)

 良質の水と米に恵まれた明石は、江戸時代から酒造りが盛んだった。神戸の酒どころ「灘」に対し、兵庫県の明石は「西灘」と呼ばれ、今も工夫と改良を重ねた個性的な酒が造られている。明石の酒造りをひもとく企画展が明石市立文化博物館(同県明石市上ノ丸2)で開かれている。(吉本晃司)

 明石の酒造りは江戸時代初期から始まった。明石領内(神戸市西区を含む)には60軒を超える酒蔵が立ち並び、「西灘」の名にふさわしい酒文化を育んだ。

 文化博物館で開催中の企画展「明石藩の世界8 米と酒づくり」では、江戸時代-明治期の酒造業の発展過程を概観する。

 財政安定のため、諸藩が年貢米の収量アップと米価の調整に腐心した江戸後期、米の取引は重要な位置づけにあった。明石藩は米を大量に買う酒造家に株札を与えた。史料によると、1788(天明8)年には領内に61人の酒造家がいたと記録する。

 江戸後期-明治初期に酒造家が記した「大宝恵(おぼえ)」。細かな財務状況のほかに酒の仕込みに関する覚書が目を引く。酒造技術の向上を追究する飽くなき姿勢がうかがえる。

 灘(神戸市東部)の酒が江戸で人気が出たことに着目し、明石の酒造家も船で江戸に運ぼうとしたがうまくいかなかったとの記述も。販路拡大の努力も垣間見える。

 明石の酒が一定の認知を得ると、酒造家が明石城内に直接納入するようになった。「酒差し越し依頼につき書状」は明石城二の丸へ酒を持ってくるように注文した文書で、長年かけて培った社会的な信用の高さを物語る。

 このほか味とブランドを守るために製造された一升瓶や、文人らも集った文化サロンの様子も紹介する。

 戦後の日本酒離れもあり、市内の酒造会社は6社に。明石の発展に果たした酒造りの役割は、酒造文化が伝える貴重な建造物群とともに次代へと受け継がれていく。企画展は10月18日まで。

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