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明石署の若手署員に震災体験を語る横田誠治副署長(左)=明石署
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明石署の若手署員に震災体験を語る横田誠治副署長(左)=明石署

■同僚後回しを今も自問

 あの時、救出できたのは2人だった。

 1995年1月17日の阪神・淡路大震災。発生から約2時間後。神戸市須磨区の警察宿舎から、マイカーで兵庫県警兵庫署にたどり着いた同署地域課巡査部長横田誠治(53)=明石署副署長=は、こう指示を受けた。

 「市民を先に救え。ここは後回しにしろ。署長命令だ」

 救助を求めて駆け込んでくる住民に対応するため、飛渡(とびわたり)和敏署長=故人=が下した決断だった。

 兵庫署は震災で倒壊し、当直中の署員10人が生き埋めになった。押しつぶされた同署1階の隙間に向かって署員が「大丈夫か」と大声を上げていた。まだ仲間が閉じ込められていた。「同僚を助けなくていいのか」。迷いはあったが指示通りに部下2人と被災者の救助に走った。

 署から西に100メートルほどの市街地で木造家屋が倒壊していた。柱の間に手だけが見える。素手で掘り起こしていると、近所の住民がスコップを貸してくれた。柱の下で身動きが取れずにいた高齢男性1人を救出した。声を掛けると「あー」と聞こえた。「生きている」。そう思った。

 続いて別の現場で土とほこりまみれになった1人をがれきの下から助け出した。

 昼を回っても作業を続けた。スコップを振るう背中に、倒壊の危険があるため遠巻きに見守る住民の祈るような視線が向けられているのを感じた。しかし、民家の竹を編んで作った土壁の下地が邪魔になり、掘り進められない。

 「なんでのけられへんの」。焦りをこらえ、やっと壁の向こう側にあるタンスを動かせた。父親と母親が子どもの上に覆いかぶさっているのが見えた。3人とも既に事切れていた。

 「岡西さんが亡くなった」。1月17日夜、兵庫署正面玄関前の待機場所になっていた大型バス内で、同僚から同署会計課職員岡西久人(ひさと)=当時(31)=の死を告げられた。

 警察学校の入学時、岡西が同校会計係だった頃からの知り合いだった。「こんなに身近な人が殉職するなんて」。生前のにこっと笑いかける顔が思い浮かぶ。震災の残酷さに言葉を失った。

 同署の臨時指揮所には昼夜問わず住民が助けを求めて駆け込んでくる。救出現場に何度も立ち合ったが、18日以降に救えた命はなかった。

    ◇

 阪神・淡路大震災から26年。明石署では震災後に採用された署員が約8割を占める。震災の教訓を継承しようと、同署は今年の1月17日から新たな取り組みを始めた。

 兵庫署で当直中、崩落した署内で一時生き埋めになった地域課巡査文野長生(おさむ)(52)=明石署生活安全課警部補=が当時の写真や新聞記事など資料を寄贈。機動隊員谷本弘行(50)=明石署刑事2課長=の体験談を映像にまとめ、署員がいつでも閲覧できるようにした。

 「震災現場で救助に関わった者はいずれ退職を迎える。その前に残したい」。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、話をじかに聞く機会を持てなくなった代わりにと2人に協力を頼んだ。

 市民の生命とともに、署員の身の安全を守る責任がある管理職となった。当時の飛渡署長の決断について思いを致す日が増えた。

 市民を守らずして何のための警察官か。けれど同僚には見殺しと思われるかもしれない-。さまざまな思いが交錯し、気付けば目頭が熱くなっている。

 「同じ場面に直面したとき、君は多くの人を救うためにひるまずに実行できるか」。若手署員に語り掛ける。それは自分に向ける言葉でもある。「どんな時でも揺るがない気構えが大切なのだ」=敬称略=(長沢伸一)

=おわり=

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