淡路

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「アートなお別れ会に」と遺影に大石可久也さんの自画像を選んだ鉦子さん。「少しとぼけた感じがいいでしょ」と笑う=淡路市楠本
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「アートなお別れ会に」と遺影に大石可久也さんの自画像を選んだ鉦子さん。「少しとぼけた感じがいいでしょ」と笑う=淡路市楠本
在りし日の大石さん(石上栄毅さん提供)
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在りし日の大石さん(石上栄毅さん提供)
ひつぎを飾るオブジェなどのアート作品
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ひつぎを飾るオブジェなどのアート作品
愛用の帽子と靴などで作った大石さんのオブジェ
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愛用の帽子と靴などで作った大石さんのオブジェ

 兵庫県淡路島北部の山の斜面に芸術空間「アート山」(淡路市楠本)を築いた洋画家、大石可久也さんが19日午前8時15分、急性呼吸循環不全のため同市内の病院で亡くなった。94歳だった。20日に葬儀「お別れ会」がアート山美術館で開かれ、家族や門下生ら約70人が芸術感覚あふれる仕掛けや音楽で別れを告げた。(内田世紀)

 大石さんは1924年、旧津名郡釜口村(現淡路市釜口)出身。兵庫師範学校時代に見た藤田嗣治の作品に感動し、絵を描くようになった。終戦間際の44年に学習小学校の教員に。27歳の時に京都大学で美学や美術史を学び、図工教諭となった。並行して一陽展を中心に創作活動を続けたが、41歳で退職。画家生活を始め欧州などを外遊した。

 89年に島に帰り、後のアート山近くにアトリエを建設。2004年に「アート山構想」の中心となる美術館を完成させた。その後も周辺を整備し、自然と芸術が融合する生きたアート空間の創造に打ち込んだ。

 近ごろは認知症が進んでいたこともあり、4月27日夜から行方不明に。翌日、無事に保護されたがそのまま入院した。その後、疲労やストレスからか出血性胃潰瘍を発症。吐血を繰り返すなどし今月19日に亡くなった。

 洋画家の妻鉦子さんは「ドラマチックに生きた人。最後の舞台もアート作品のように」と提案。遺影は大石さんの自画像を据え、ひつぎの周りにはオブジェを配置した。般若心経に合わせ太鼓や笛などの民俗楽器を打ち鳴らし、火葬炉に入る時は「素晴らしい人生だった」と拍手で送った。

 「吐血で赤く染まったシーツも、驚くほど白いお骨もすべてが大石の作品のよう」と鉦子さん。「多くの人の感性が重なり合って、本当に満足な最後を飾ることができた」と涙をぬぐった。

■優しい目、これからも

 旧東浦町庁舎を改修した東浦公民館を18日午後、初めて訪れた。館内を歩くと旧議場のホールの壁に一目でそれと分かる鮮やかな青。「大石先生の海や」-。

 大石さんは淡路に帰郷後、自宅から見下ろす海をライフワークに選んだ。中でも名作が隣の美術館に飾られた150号の大作。だがこの絵は先日、建築家の安藤忠雄さんが大阪に建設する図書館に飾るため、購入した。

 4月に美術館を訪れた際、絵は既に外されていた。「最後にもう一度見たかった」と悔やんだ私。公民館での新たな出会いは、大石さんが「ここにもあるから」と天国へ行く前に教えてくれたのかもしれない。

 美大出身の私にとって、大石さんとは「記者と画伯」より「生徒と先生」に近かった。いつ「そんな写真はつまらん」と言われるかと、少し恐かった。その優しい目は、底の浅い私の表現力などやすやすと見透かしていたはずだ。

 「アート山は終わらない。大石を亡くした私たちの新たな表現が始まる」とは鉦子さんの言葉。先生、これからも空の上から、皆を見守っていてください。できれば私の写真も-。

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