淡路

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完成した干し鯛の出来を確認する小磯富男組合長(左端)ら
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完成した干し鯛の出来を確認する小磯富男組合長(左端)ら
平成の大嘗祭で献上された丸山の干し鯛
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平成の大嘗祭で献上された丸山の干し鯛

 「平成」最後の正月を迎えた。皆さんの家の食卓に並ぶ縁起物のタイはどこで捕れたものだろうか。兵庫県では、今でこそ「明石ダイ」が有名になったが、南あわじ市阿那賀の丸山漁港で水揚げされる「鳴門ダイ」は大正、昭和、平成と3代にわたり、兵庫県を代表して天皇陛下の即位時の「大嘗祭」などで献上されてきた逸品だ。ただ、最後の献上から約30年、日本人の魚食は減り、タイの価格は下落した。人口減少は進み、小さな漁師町もその波にのまれる。だからこそ、「次の時代も献上を-」。漁師らは「献上鯛」のブランド化に地域の未来を託す。(高田康夫)

 平成の大嘗祭では、兵庫から4品が献上された。宮内庁によると、丹波黒大豆、丹波くり、兵庫のり(明石産)、そして丸山の干し鯛だ。大正、昭和時代は文献や資料を繰るしかないが、平成の献上鯛は、漁協関係者が当時の奔走を覚えている。

 まずは丸山漁港に水揚げされたタイの中から、1・5キロ程度のえりすぐりの20尾を近くの旅館で下処理。その後、当時最新の乾燥機があった但馬の津居山漁港までフェリーと車を乗り継いで県内を縦断した。当時、但馬と淡路を往復した南あわじ漁協の小磯組合長は「タイのうろこが剥がれないよう慎重に運転した」。

 干す際に手本にしたのは、写真が残っていた大正時代の献上鯛。背びれや尾びれが美しくピンと伸びていた。通常の干し方ではそうならないため、写真を見ながら糸で引っ張ったり、割り箸で固定したりと工夫し、乾燥させた。

 3日ほどかかって完成。20尾の中でさらに良い2尾を選んで持ち帰り、献上用のきり箱にヒノキの葉を敷いて、その上に干し鯛を載せた。風呂敷で包んで新神戸から新幹線で宮内庁まで持ち込んだという。

 大正時代の献上の際は、今は丸山海釣り公園となっている「弁天島」で、白装束に身を包んだ漁師の有志十数人が、20日ほど泊まり込んで干し鯛を作った記録がある。小磯組合長らは次の献上が決まれば、大正時代の様子を再現することを検討している。

 次の時代の大嘗祭は11月に予定。宮内庁によると、献上品が決まるのは、5月1日の新天皇即位後という。

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