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発見者の父・岩尾市松さんの写真を手に、倭文銅鐸を見学する長谷まつみさん(左)と、娘のなか代さん=南あわじ市松帆西路
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発見者の父・岩尾市松さんの写真を手に、倭文銅鐸を見学する長谷まつみさん(左)と、娘のなか代さん=南あわじ市松帆西路

 兵庫県南あわじ市松帆西路の滝川記念美術館「玉青館」で開催中の特別展「淡路島ゆかりの銅鐸(どうたく)展」。1959年に同市倭文(しとおり)で出土した倭文銅鐸が淡路島内で初めて展示され、発見した岩尾市松さん(84年に79歳で死去)の長女、長谷まつみさん(71)=同市=が62年ぶりに“再会”した。この間、東京国立博物館で保管され、見ることはかなわなかった。長谷さんは父の姿を重ね、「生きている間にもう一度見ることができるなんて」と喜んでいる。(西竹唯太朗)

 銅鐸は、弥生時代に稲作に関わる祭祀に用いられたとみられる青銅品。現在の風鈴のように、内部につるした「舌(ぜつ)」と呼ばれる棒が周囲に当たって音を出した。多くが山中で見つかっている一方、海の近い淡路島でも多数発見されており、当時の島が海上交通の要衝だった可能性も推測されるという。

 岩尾さんは、倭文地区で農業を営んでいた。長谷さんは「釣りに、骨董(こっとう)品収集に、多趣味な人だった。銅鐸探しもその一環だったのかな」と振り返る。

 玉青館などによると、倭文銅鐸は牧草地として開墾中だった山林から発見された。作業に加わっていた岩尾さんが重機で動かした土の中から銅片を見つけ、自宅で洗ったところ文様が現れたという。

 大学や県などから専門家が調査に訪れるようになり、岩尾さんも残りの銅片の採取に加わった。当時の淡路島内の市町に、遺物を保存・管理できる施設はなく、銅鐸は埋蔵文化財として東京国立博物館が保管することになった。

 「やっぱりさみしかったのか、父が銅鐸について話すことはなかった」と長谷さん。岩尾さんは84年に旅先で倒れ、他界。発見時以降は一度も銅鐸を見ることがかなわなかった。銅鐸の出土時、9歳だった長谷さん。目を輝かせて採取に向かう父の姿をおぼろげに覚えていたが、年を追うごとに銅鐸の記憶は薄れていったという。

 転機は、2015年の松帆銅鐸出土のニュース。「お父ちゃんが倭文銅鐸を探していたことを思い出し、どうしても見学したくなった」と長谷さん。インターネットで銅鐸が東京にあることを知り、博物館も訪問したが、「展示していないため」として実物の見学は断られた。あきらめかけていたところに、地元での展示が決まったという。

 半世紀以上たって銅鐸と対面し、長谷さんは「昔は“汚いがらくた”と思っていたけど、こうしてみると文様がきれい」と笑顔。昨年、病で入退院を繰り返したといい、「銅鐸を見て、父が“負けたらあかん”と励ましているような気がした」と遠くを見つめた。

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